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【書評】『身もこがれつつ 小倉山の百人一首』周防柳著 承久の乱絡め歌壇の謎解き

日本人に最も馴染(なじ)みのある和歌集といえば、やはり『小倉百人一首』ではないだろうか。編者は、歴代歌人の中でも名の知れた藤原定家。本書の主人公だ。

周防柳著『身もこがれつつ』
周防柳著『身もこがれつつ』

この歌集が、いったいどのような経緯で編まれ、定家はどんな意図で百首を選んだのか。さらに、なにゆえこの歌集が凡(およ)そ800年経(た)った今も色褪(いろあ)せることなく、人々の胸を打つのか。これらの謎の答えを、作者は歴史の闇に隠れたとある陰謀を絡めつつ、最後に鮮やかに披露する。その手法は大胆で、緻密な計算と膨大な知識を必要とする。よくもまあこんな難しい試みに挑戦したものだと感嘆した。

時代は平安から鎌倉へと移る変革期。将軍家のいる鎌倉と、帝の住まう京と、一つの国に二つの頂が成り立ち、水面下では互いに潰し合うための計略が練られている。鎌倉では北条家が、都では後鳥羽院が力を握っている。後鳥羽院の御代(みよ)は、「一つ天の下に二帝が並び立つ」「前代未聞の事態」で始まった。平家が都落ちするとき安徳天皇を連れ出し、三種の神器を持ち去ったからだ。安徳天皇に代わる帝として、神器無きまま即位した。この事実は、後鳥羽院の「欠け」となり、後に承久の乱を引き起こす。

後鳥羽院は、「和歌こそが神代に始まるこのやまとの心であり、京のみやびの神髄」で、「京の誇りの最たるもの」だからと、和歌で鎌倉武士に対抗する。「欠け」を歌で満たそうとしたのだ。このため、いったん廃れていた歌壇は後鳥羽院の庇護(ひご)の許(もと)に再び花開き、「空前の流行」となる。その中心には、「匠の歌作り」の定家と「天性の歌詠み」の藤原家隆がいた。

台頭する将軍家を、定家らの「歌の力」で籠絡し、懐柔し、手玉に取ろうとする後鳥羽院に、北条方の打つ手とは何か。公卿(くぎょう)のだれが鎌倉と通じているのか。歴史的な事件が進行する中で、もつれる3人の歌人らの「愛(お)しと、恨めしと」の思い。

「北条義時殿を討てとの宣旨が発せられた」とき、後鳥羽院に体を重ねることを迫られた過去を持つ定家と家隆は何を思い、どう動いたか。定家はこのときの決断で大きなものを失った。失ったものの分だけ強くなった。その変化がさらなる決断を生む。本書を手に取り、唯一無二の結末を、見届けてほしい。(中央公論新社・2090円)

評・秋山香乃(小説家)


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