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【朝晴れエッセー】桃太郎・8月22日

16年前の6月は、3週間ほどの入院生活を送っていた。ひどいつわりで食べ物を受け付けず、1日4本の点滴で命をつないでいた。

枕元にエコー写真を貼り、まだまだ人間の姿にはとても見えない生物の姿を見つめては、点滴の匂いのする汗と涙を流し、ひたすら耐える日々だった。

ある日栄養士さんの機転で、冷ましたご飯を小さな塩むすびにしたものならいくらか食べられることがわかり、間もなく退院することができた。

梅雨が明けるころにはちょっとした外出ができるくらいには体力が回復したが、大変だったのはスーパーでの買い物だった。

いろいろな匂いがあふれる売り場の中で、唯一深く呼吸できるのは青果売り場だけ。ちょうど店頭に並び始めた桃は、その香りでずいぶん私を助けてくれた。香りだけでなく、そのみずみずしさと強すぎない甘さで食欲と心も支えてくれた。

年明け男の子を産み、また夏が近づいたころ、赤ん坊の頰の白さと柔らかさ、ふわっと立ち上がる産毛をうっとりと見つめながら、私は桃を産んだのではないかと思ったりした。

いつもいつも桃、桃、と強く思っていたことは、おなかの中の子供になにかしらの影響を与えてもおかしくないのではないか。桃太郎は桃から生まれたけれど、それもなんだか腑に落ちる。

15歳になった赤ん坊は私の背を追い越し、低い声でぼそぼそしゃべる。それでもその横顔に白くふわっとした面影を見るたびに心の中で思わず「桃」とつぶやいてしまうのだ。


廣澤彩子 46 東京都練馬区


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