15年ほど昔になる。私は専門学校で英語の講師をしているのだが、学生を連れてハワイ・オアフ島にある大学を訪問したときのこと。女性の教授から「これを読んでみてください」とわずか12ページの絵本を紹介された。英語で「ザ・キャロット・シード」とある。
著者はルース・クラウス。幼児向けの絵本である。最初のページは幼い男の子がにんじんの種をまく場面だ。次のページからママ、パパ、そしてお兄ちゃんが「芽が出ることはないと思うよ」と口をそろえる。
それでも男の子は毎日、まわりの草を取ったり水をかけたり、黙って世話を続けるのだ。芽は出てこない。いつまでたっても出てこない。見かねた家族は「芽なんか出ないよ」と何度も繰り返す。
それでも男の子はまわりの草を取り、水をかけ続ける。来る日も来る日も。どのくらい時がたったのだろう、ある日、にんじんは芽を出した。やがて男の子の背丈を越えるほどに。
たったこれだけの話だが私の心に迫るものがあった。そのときある仕事の計画があり、やり始めたがなかなか成果が出なかった。まわりも「難しいかもね」と言う。半ばあきらめかけていたときハワイに来た。そして、これは自分のための本だと思った。
必ず芽が出ることを男の子は確信していた。たったひとり、無理だとは思わなかった。本国アメリカでは長く親しまれてきた絵本の古典だという。著者がにんじんのたねに託した願いは何だったのか。最近になって、かつて邦訳が出ていたことも知った。
きっと芽が出ると信じる力を教えてくれた。
広島市中区 植田敬(64)
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