• 日経平均28333.52209.24
  • ドル円114.58114.59

【正論モーニング】ユダヤ人救い、ソ連の野望阻止した中将 「軍人は悪」封印された功績

ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った日本人として、外交官の杉原千畝(ちうね)は有名だが、もう一人の存在はあまり知られていない。陸軍中将、樋口季一郎。彼はユダヤ人救出だけではなく、終戦直前に対日参戦したソ連の北海道侵攻を阻止した人物だが、いずれの功績も軍人であるがゆえに封印され、長く語られることはなかった。

ハルビン特務機関長時代の樋口季一郎(樋口隆一氏提供)
ハルビン特務機関長時代の樋口季一郎(樋口隆一氏提供)

第二次世界大戦直前の昭和13年3月8日、満州国との国境に近いソ連領オトポール駅に、欧州各国からシベリア鉄道を経由して逃れた多くのユダヤ難民が押し寄せた。彼らは満州国への入国を求めたが、政府は11年にドイツと結んだ日独防共協定を理由に入国ビザの発給を拒否した。

当時、ハルビン特務機関長の任にあった樋口は、人道上の問題として独断で救援列車を手配し、ビザの発給を指示。ユダヤ難民を迎え入れた脱出ルートは後に「ヒグチルート」と呼ばれ、一説だが救出したユダヤ難民の数は2万人に上ったという。これは杉原が発給した「命のビザ」より2年も前の出来事である。

パターン化した認識

樋口の功績はこれだけではない。その後、北部軍司令官として札幌に赴任した樋口は終戦直後、千島列島北東端にある占守(シュムシュ)島に奇襲上陸したソ連軍との自衛戦闘を指揮。激しい戦闘は数日間に及んだが、米軍の進駐で停戦が成立した。もし、樋口による徹底抗戦の指示がなければ、ソ連による北海道占領が現実に起こり得た可能性は否定できないだろう。

先の大戦において、樋口はこれほどまでに重要な役割を果たしながら、戦後わが国で語り継がれることはほとんどなかった。それは樋口が「軍人」だったからに他ならない。

言い換えれば、戦後の日本人にしみついた「軍人は悪」という、パターン化した歴史認識が背景にあることは容易に想像がつく。ゆえに「軍人」と「人道主義」を結びつけることを否定し、それが樋口の功績を歴史の中に埋もれさせたのである。

かたや、戦後ユダヤ人が建国したイスラエルでは、ユダヤ民族に貢献した一人として、エルサレムにある「ゴールデンブック」に樋口の名が刻まれている。米国で120年以上の歴史を誇るユダヤ系名門紙「フォワード」は今年6月18日付の電子版で「五輪開催国の日本には、たくさんのユダヤ人の歴史がある」と紹介し、日本による人道支援の歴史を今に伝えている。

陰の存在であり続けた

樋口の孫で明治学院大名誉教授の隆一氏(75)は言う。「大きく言えば、日本人の近視眼的な歴史の見方が、祖父のグローバルな視野と活動を理解できなかったということでしょう。リトアニアで『命のビザ』を発給した杉原は当時、日本人が一人もいないカウナスという街にいました。なぜそんな場所に外交官を置いたのか。

その理由は独ソの軍事情報を参謀本部に送らせるためでした。しかも情報の受け手が実は私の祖父だったという事実をどれだけの日本人が知っているでしょうか? 杉原は唯一の領事館員として多くのビザを書く必要があったが、高官だった樋口は政策決定には関与しても、ユダヤ難民との接触は極力避け、むしろ陰の存在であり続けたという歴史の側面を知るべきでしょう」

西洋音楽史の研究者として知られる隆一氏は26歳のとき、バッハ研究のため渡欧し、東西に分裂したドイツの悲劇を体感した。「祖父がいなかったら、日本もそうなっていたかもしれない」。帰国後は祖父の仕事への興味からその生涯を追い続け、昨年4月には樋口が戦後書き残した未発表の原稿をまとめた書籍を出版するなど、近年は積極的に顕彰活動にも力を注ぐ。

進む再評価の動き

こうした取り組みの甲斐あって、樋口に関心を寄せる人は近年増えつつある。

昨年9月には北海道石狩市に樋口の功績をたたえる記念館がオープン。地元の有志が集まり、古民家の蔵を改修するなどして文字通り手弁当でつくったという。江崎幹夫館長は言う。

「樋口季一郎はいわば北海道の恩人です。世界に誇れる日本人の一人でありながら、これまで表に出てくることはなかった。彼の功績が広く世界に知られることで、わが国の名誉を回復し、戦後の自虐史観からも脱却できると期待しています」

樋口の生まれ故郷である兵庫県南あわじ市でも、来秋の建立を目指して銅像設置の計画が進む。76回目の終戦の日を迎えた今年の夏。「軍人は悪」という凝り固まった歴史認識を捨て去り、リアルを直視する良い機会にしたい。(大阪正論室次長、白岩賢太)


Recommend

Biz Plus