中国共産党政権が統制を強化する香港の現状に絶望した香港市民が英国への移住を進めている。英国での新たな生活は香港で奪われた自由を取り戻す「希望の光」に見えたが、移住者の多くが仕事に就けず、貧困や故郷を捨てた心の傷に苦しんでいるのが現実だ。共産党を支持する在英中国人が移住者を脅迫する事例も報告されており、香港市民は英国の地でも中国の圧力に脅かされている。
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亡命承認まで働けず 1日1食
□ジム・ウォン氏(30) ネット中傷続き申請決断
私はデモに参加していたことから香港当局に違法集会参加などの罪で起訴され、2020年7月に裁判所への出頭を命じられた。香港国家安全維持法(国安法)の施行に絶望していた私は、出頭すれば香港から逃げる機会を失うだろうと思い、出頭日の直前に英国に向かった。
私は渡英後もネット上で親中派に個人情報をさらされ中傷を受けている。身の安全のため、20年8月に英国への亡命を申請した。言論の自由を求めただけで追われる香港の現実を国際社会に訴えるためにも申請は必要だと考えた。
ただ、亡命は承認に1年以上かかることが多い。申請中は働けないため、貯金を切り崩して生活しており、1日1食で我慢する日もある。つらい生活の中でメンタル不全を起こした。私は香港の家族や恋人、親友に何も告げずに英国に来た。彼らを巻き込みたくなかったからだが、香港に残した人たちを思うと胸が苦しく、怒りや悲しさで涙があふれてくる。数年前は国を捨てることになるとは夢にも思わなかった。
だが、負けたくはない。私には今、英海軍に入る夢がある。最新鋭空母「クイーン・エリザベス」を核とする空母打撃群が今年、中国の海洋進出を牽制(けんせい)するため、インド太平洋に向かったニュースに勇気をもらった。いつか、中国から世界を守る一員に加わりたい。
2008年から民主化デモに参加。19年8月に地下鉄駅構内のデモ隊排除で暴行を受けた。20年7月に英国に逃れ、亡命を申請中。
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「同胞助けることは私の名誉」
□サイモン・チェン氏(30) 移住者支援団体立ち上げボランティア
私は昨年7月に支援団体を立ち上げ、英国に逃れた香港人を支援するボランティア活動を始めた。英国での新たな人生を選択した香港人の大半は住む家も仕事も確保せずに渡英する。彼らの不安を和らげるため、私の活動は絶対に必要だ。
支援活動の幅は広く、賃貸物件の借り方や銀行口座の開設方法のほか、医療サービスの利用方法など生活に必要な情報を提供。英語が堪能ではない香港人に英会話や英文履歴書の書き方も教えている。
英国移住を検討する香港市民から毎日数十件の相談を受けている。彼らの相談に多く乗るために、香港時間に合わせて深夜から朝方まで起きている。
活動の支援者は増えたが、活動を快く思わない中国の妨害に苦しめられている。私は昨年6月末の国安法の施行後、同法違反容疑で指名手配された。同年8月に「中国の諜報員がお前を連れ戻す」と英語で書かれた脅迫メールを受信した。中国人らしき男性に尾行されるようになった。
それでも、同胞を助けることは私の名誉だ。渡英した香港人の自立を助け、団結すれば、中国が香港の自由を奪った行為について国際社会に強い声を上げられる。香港にいる両親は私を公に支持できないが、口に出さなくても誇りに思ってくれていると信じている。
在香港英国総領事館職員として2019年8月、中国本土出張時に拘束され、暴行で英政府の民主化デモ関与の自白を強要された。解放後の同年11月に渡英。
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「生活守る」中国人と仕事決意
□アラゴン・ホー氏(37) コロナ解雇・ホステル住まい
国安法が施行される前から香港では言論の自由が脅かされていた。2019年に香港警察が民主化デモにゴム弾や催涙スプレーを使用する様子を見て、民主主義が弾圧されるこの国にはいられないと思った。英政府が特別査証(ビザ)の申請を受け付けることを知り、英国に移住しようと覚悟を決めた。
しかし、ロンドンに到着後、約2カ月間、仕事が見つからず、パニックに陥った。昨年11月に日本食レストランのウエーターの職を得たが、新型コロナウイルス感染拡大によるロックダウン(都市封鎖)の影響で閉店し、仕事を失った。英国人も解雇されている。私を受け入れた英国の市民と仕事の奪い合いになる状況はつらかった。
住居もなかなか見つからず、渡英後しばらくホステル住まいだった。貯金を切り崩して生活していたが、宿泊費は高く、お金は瞬く間になくなった。毎日、食費を4ポンド(約600円)ほどに抑え、交通費を浮かせるためどんなに寒くても遠方まで徒歩で移動した。
そんな時、中国人の顧客拡大に力を入れる不動産会社からのオファーがあった。中国人と仕事をすることに悩んだが、生活を守るため就職を決意した。会社では上司や同僚に中国出身者がおり、香港の話や中国政府に不利なことを言わないように気をつけている。
昨年9月に香港から英国に逃れた。「英国海外市民(BNO)旅券」保有者で、今年2月に特別査証(ビザ)を申請、4月に取得した。
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【用語解説】英国の香港市民受け入れ
英国は1月31日から、特別査証(ビザ)申請の受け付けを開始。特別ビザがあれば5年間の英国滞在が可能になり、5年間の滞在後に永住権を、その1年後に市民権を取得できる。1997年の香港返還前に生まれた香港市民を対象に英政府が発行した「英国海外市民(BNO)旅券」保有者とその扶養家族に申請資格がある。特別ビザとは別に、亡命申請も受け付けている。
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「言論の自由 急速に奪われている」
□香港でジャーナリスト活動 スティーブン・バインズ氏
――1987年から約34年間、香港でジャーナリストとして活動していたが、今年7月末に英国に帰国した。香港で何があったのか
「国安法施行後、言論の自由が急速に奪われている。私は6月に休刊に追い込まれた蘋果(ひんか)日報(アップルデイリー)のコラムニストとして同法を批判した。香港にいれば同法違反で逮捕される恐れもあった」
――どのように報道の自由が奪われたか
「司会を務めていた公共放送『香港電台』(RTHK)の情報番組が何も説明がなく、7月に終了した。RTHKにはメディア経験のない公務員出身者がトップに送り込まれ、番組が次々と検閲を受けて放映中止に追い込まれている」
「香港で身の危険を感じることもあった。ある日、何者かが私に電話で『足元に気をつけろ』と言った。警告を意味する言葉と感じ、恐ろしくなった」
――外国人の記者が香港で取材しづらくなっている
「その通りだ。外国人記者がビザを更新されないケースが増えた。香港市民も弾圧を恐れ、海外メディアと話せない。国安法で何が許され、何が禁止されているかは分からない点が、香港のジャーナリストや市民を不安に陥れている」
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中国からの嫌がらせ横行、自殺者も
香港市民を支援する英団体「英国港僑協会」は、国安法の昨年6月末の施行以降、約10万人が香港から英国に移住したと推計する。その多くは「BNO旅券」の保有者やその扶養家族で、すでに特別査証(ビザ)5万件以上が承認された。
ただ、特別ビザを取得した香港市民が住居や収入を得られない事例が相次いでいる。英メディアによると、英国の大半の不動産業者が特別ビザの存在を知らず、賃貸契約を結ばないことがある。
最も深刻なのは亡命申請者で、申請中は就労が禁止され、生活困窮が問題視される。英政府によると2019年4月~21年6月に申請した146人のうち亡命が承認されたのは2人だけ。同協会の創設者、サイモン・チェン氏と、14年の香港民主化要求デモ「雨傘運動」指導者の一人、羅冠聡氏だ。
ロンドンで亡命申請者の支援活動を行う香港出身のジャベズ・ラム氏(65)は、「申請者の多くは香港での弾圧の経験から渡英した時点で心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えている」とし、「英国での過酷な生活により人生に絶望する恐れがある」と危機感をあらわにした。
チェン氏によると5月には亡命希望の民主活動家の女性が自殺。同氏は「申請者の生活改善や精神的な負担軽減のため、英政府は申請中の就労を認めてほしい」と訴える。
在英中国人の圧力も追い打ちをかける。ラム氏の調査では英国内の華僑組織の一部が香港出身者に暴力や脅迫を加えている。英紙タイムズによると、特別ビザ申請者に中国工作員が紛れ込んでいることも判明。移住者を装い、香港出身者を監視・脅迫する恐れがあり、羅氏は「英政府は在英香港人を守るため、ビザ審査で厳しい身元調査が必要だ」との見解を示した。