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サヨナラ「鳥の巣」 安全見守り70年 広島電鉄の操車塔

広島市の中心部で約70年にわたって路面電車の安全運行を支えてきた操車塔「十日市信号所」が役目を終えた。実際に広島電鉄(広電)の信号員が常駐していたのは昭和27年2月から4年にも満たないが、自動化による無人化後もポイント制御機器が置かれ、信号所は街の風景として溶け込んでいた。9月6日に解体作業が始まり、17日までに完全撤去される予定。跡地には新たな信号関係の機材が置かれるという。昭和の名残がまた一つ姿を消すことになる。

十日市交差点の南西角に建っていた「十日市信号所」=9月3日、広島市中区
十日市交差点の南西角に建っていた「十日市信号所」=9月3日、広島市中区

見守り続けた70年

広島市の中心部にある十日市交差点の南西角に信号所が建てられたのは、69年前の昭和27年。4本の柱に支えられた塔の高さは6・5メートル、円形の室内はわずか直径1・43メートルと4畳にも満たない狭さだったが、円形フォルムが印象的だった。

十日市交差点は3方向からの路面電車の線路が交差し、ひっきりなしに往来。

広電によると、交差点が一望できるガラス窓から信号員が目視や双眼鏡などを使って確認し、路面電車の行き先別に線路のポイントを手動で切り替えていたという。

「社員の間では『鳥の巣』と言われていました。諸説あるようですが、信号員の確認する様子が、餌をついばんだり、キョロキョロしたりする鳥のひなのように見えたことから、そう呼ばれたようです」と、電車技術部電気課の信号係長、富田勇さん(59)は説明する。

もっとも、信号員が常駐していたのは、昭和30年11月にポイント制御が自動化されるまでの4年足らず。ただ、無人化後も室内にはポイント制御用の機器が置かれ続け、信号所は長年にわたり路面電車の安全運行を見守り続けてきた。だが、老朽化には逆らえず、劣化が激しく、耐震基準も満たしていないことから、信号機器の更新に合わせて取り壊しとなった。

解体直前の信号所はひび割れるなどの劣化が目立つ。室内への出入りはハシゴのみで、幅約25センチの狭さ。はしごを上り切った先にある入り口も人1人がやっと通れるだけの小ささだった。コンクリートむき出しの室内はトイレもない。

緊張とやりがい

信号所はかつて広島市内に2カ所あり、中心部の紙屋町交差点にもあった。平成12年に撤去されたが、この紙屋町信号所に勤務していた電車企画部養成所の田辺治人さん(63)は「紙屋町信号所を担当する前に訓練を受けたのが、十日市の『鳥の巣』でした。私の原点でした」と懐かしむ。

担当になったばかりの頃は、信号員の休憩時の交代要員として入ったが「最初は手が震えた」という。同じ方向行きの電車が6分おきにやってきて、その間には別の方向に向かう電車も入る。3分に1度は交差点に電車が入り、電話を取っている間にポイント操作が遅れ、電車を待たせてしまったことも。

もっとも気を付けたのは体調管理だ。当時は1人ずつの交代制。「トイレもありませんし、席を外せば電車が止まってしまう。『鳥の巣』に入るときは、その前日には油ものを控えるなど、胃腸によくないものは極力控えました」

一方、やりがいもあった。「もう一度できることなら、鳥の巣で仕事してみたかった」と振り返った。

住民にも愛され

買い物などで交差点付近を通るという広島市西区の女性(79)は「取り壊されると聞くと、少し寂しい感じもします」と残念がる。

中区の女性会社員(51)は「ここにあるのが当たり前でした。70年も見守り続けてくれたことに感謝。街が新しく発展していくんだと、いいように思いたい」とねぎらった。

田辺さんも通りかかった老夫婦に声をかけられたことがある。

「信号所がなくなるのは寂しいのう、と声をかけてもらいました。そのおじいちゃんは、信号所を友達との待ち合わせ場所にしていたそうです」。多くの人々の思い出の一片となっていた塔だった。(嶋田知加子)


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