話の肖像画

    出井伸之(3)中学時代、小澤征爾さんと奏でた音楽

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    《7歳で終戦の混乱に巻き込まれたが、その後、東京・成城で平穏な生活を取り戻す》


    中国・大連で命を危険にさらされ続けていた経験もあって、小さいころの僕は常に気配を消しているような、おとなしい子でした。一緒に成城学園初等学校に通っていた友人たちからは「あんなにおとなしいやつがソニーの社長をやっていたのか」と今でも言われます。

    成城学園は自由な校風で、同窓生の結束が強い。小学校にはいじめっ子もいたけれども、卒業の前にみんなでやっつけたら、校長先生から「よくやった」と褒められましたね。

    小学校時代は野球でピッチャーもやっていたし、兄貴が残したバイオリンも習い始めました。そうして少しずつ自分らしさに目覚めていったのです。


    《進学先の成城学園中学校で、生涯の友と出会う。後に世界的な指揮者となる、小澤征爾さんだ》


    小澤さんは音楽部の先輩で3年生、僕は1年生でした。できたばかりの音楽堂から、いつも楽器の音が聞こえてきました。当時の小澤さんはピアニストを目指していて、僕ともう一人がバイオリン、さらに一人がフルートと、4人でカルテットを組んでいました。

    音楽の楽しみには、楽器を演奏する喜びと聴く喜びの2つの側面があります。普通は聴く喜びしか味わえませんが、僕は自分のバイオリンの音がどんなふうに聴こえるかを小澤さんから教えてもらって、演奏する喜びを知りました。


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