足早に夏が去って、北海道はすでに涼風だ。身を縮こまらせて帰宅した夫に、鍋を用意した。
ビール片手に顔をほころばせ肉をほおばる夫と差し向かいながら、台所にしまったきりの大鍋を思う。
わが家には土鍋が3種類あって、一つは風邪ひきさんに卵粥を作るための1人用、もう一つはおかずがある中でも温かいものが欲しいときの中くらいの土鍋、そして子供たちが幼い顔を並べていた頃に家族で囲んだ大きな土鍋。
長男が東京の大学に進学し、次男が高校に入学して帰宅が遅くなり、家族そろって夕食をとることが無くなってしまった食卓で、大きな土鍋が登場しなくなって久しい。
夫はほろ酔い加減で満足げに鍋をつつくが、私はもう二度と出番のないだろう大鍋を思い、子供たちが小さな頃に使っていたキャラクターの皿たちを思い、こっそりと涙する。
この先ずっと、この中鍋かしら、ああでもそれだって幸せなのかな、だってきっといずれは1人鍋…。
さみしい思いとススキに誘われて庭に出ると、思いがけなく明るいお月さまだ。
そうだ、今度のお正月こそ、ワクチン接種を終えて長男も帰省してくるだろう、何をおいてもあの大鍋を出して、みんなの大好きな具材をたっぷりと煮込んで、そして2年分のあれやこれや、それぞれのドラマを聞きたいな。
それまでお月さま、わたくしたちをどうぞよろしく。
荻野貴子 49 北海道伊達市