没後450年の毛利元就 実は「筆まめで心配性」

    今年は中国地方を支配下に治めた戦国大名、毛利元就(1497~1571年)の没後450年。元就が本拠地とした広島県安芸高田市では居城だった郡山城や人物像をさらに知ってもらいたいと、市観光協会が元就の命日にあたる7月16日から郡山城のガイドブックや「御城印」セットの販売を始めた。策略家のイメージもある武将だが、市観光協会の中溝国久さん(45)によると「筆まめで心配性」。コロナ禍で観光業には厳しい局面が続くなか、令和5年には郡山城への入城500年という節目も控えており、地元では元就ブームへの期待が高まっている。

    安芸高田市に建つ毛利元就像(安芸高田市観光協会提供)
    安芸高田市に建つ毛利元就像(安芸高田市観光協会提供)
    郡山城跡頂上の本丸付近(安芸高田市観光協会提供)
    郡山城跡頂上の本丸付近(安芸高田市観光協会提供)

    臨場感を感じて

    安芸高田市観光協会では約半年をかけて、郡山城のガイドブック(千円)を作成。中溝さんは「その場に行った気分になってもらいたい」と話す。

    写真や絵を多く使い、郡山城での出来事やエピソードも紹介。「学芸員や研究者の方々へも協力を仰いで意見を聞き、最新の研究なども取り入れた」という。

    中溝さんが「読み応えがある」というのは出雲尼子氏との「郡山合戦」の章。日を追って書かれており細かなエピソードも記載。尼子軍が攻めてきた際に郡山城に領民ら8千人が籠城したとされるが、実はまだ城郭化される前であったことなどが描かれている。

    もともと歴史好きだったという中溝さんだが、九州出身で安芸高田市にきたのは5年ほど前。かつて元就には「頭が良く、冷酷な人」というイメージを持っていたという。

    だが、この地で元就とかかわるうちに印象が一変。「筆まめであったり、心配性であったり、人間臭さを感じた。『三子教訓状』も最後は小言に近く、へりくだっているのが面白かった」と話す。

    元就が3人の息子に協力することの大切さを書いた書状「三子教訓状」は、観光協会でもミニレプリカ(千円)で販売している。

    また、居城だった郡山城と元就が青少年期を過ごした城として知られる多治比猿掛城の「御城印セット」(800円)の販売も始めた。

    「百万一心」伝説

    安芸高田市が元就のまちとして、PRを大々的に始めたのは、平成9年にNHK大河ドラマ「毛利元就」が放映されたころから。小説やゲーム、アニメにも取り上げられるなどして、まちの知名度アップにも一役買ってきた。

    郡山城跡のふもとにある元就墓所のそばには「百万一心碑」がたたずむ。

    戦国時代、築城の際には人柱を埋める習わしがあったが元就は人柱を許さず、代わりに「百万一心」と刻んだ石を埋めて人柱の命を救ったという。協力し合って団結することの大切さを説いた、元就の人柄を示す逸話だ。

    元就といえば、やはり「三矢の訓(おしえ)」が有名だが、地元の小学校では「百万一心」を題材にした劇を代々演じて、このエピソードを受け継いでいるという。

    「百万一心」が刻まれた石は、江戸時代に長州藩士だった武田泰信が発見して拓本に取り、元就をまつる山口市の豊栄神社に奉納したといわれている。だが文書などに記述はなく、石も発見されていないため「郡山城最大の謎」ともいわれるという。

    令和5年には元就が郡山城に入城して500年。

    中溝さんは「郡山城は廓(くるわ)もしっかりと残っている。『ここに住んでいたんだろうなあ』などとイメージを膨らませやすく、面白いところ。いろんなイメージがわいてくる場所だと思う」と話していた。(嶋田知加子)


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