本郷和人の日本史ナナメ読み

    異形の古文書㊦「古い人」だった後醍醐天皇

    Aさんのご立派なお宅を訪ねて文書を見せていただきました。ぼくは一目見て、息をのみました。「国」「可」という字の書き方、年号の書き方。大覚寺統に共通する、比較的まるい、力のこもった雄渾(ゆうこん)な文字(対して持明院統の天皇・皇子の字はサラサラと流麗なことが多い)。後醍醐天皇の字だ。ここにもあったんだ…。

    醍醐天皇像(模本、東大史料編纂所蔵)
    醍醐天皇像(模本、東大史料編纂所蔵)

    この文書の分析は来月に行うこととし、とりあえず、読みを記しておきます。

    巨勢宗国、依有合戦忠、可有恩賞矣、

    元弘三年三月四日左近中将(花押)

    次回は11月4日掲載予定です。

    【用語解説】後醍醐天皇が敬愛した醍醐天皇

    885~930年。臣籍として生まれた唯一の天皇。父の即位(宇多天皇)とともに皇族となり、名を敦仁親王に改めた。即位すると、藤原時平、菅原道真を左右大臣に任じて摂政・関白を置かず政務を推進。平安時代最長となる33年間在位し、その治世は後世「延喜の治」と理想化された。後醍醐天皇はこの天皇を敬愛し、自身を「後の醍醐」と名づけるよう周囲に命じた。かつてはこのように、生前に自身の追号を定めるのは後醍醐天皇だけの事例とされたが、野村朋弘氏の研究により、格別珍しくないことが明らかになっている。

    【プロフィル】本郷和人

    ほんごう・かずと 東大史料編纂(へんさん)所教授。昭和35年、東京都生まれ。東大文学部卒。博士(文学)。専門は日本中世史。


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