中国共産党は、創建から100年の間に「歴史決議」を2回採択している。いずれも党指導者の下で過去の歴史について評価し、自らの政治路線の正しさを明確化させ、それにより権威を高める効果をもたらしている。
最初の決議は、毛沢東が主導した1945年4月の「若干の歴史問題に関する決議」だ。決議は党創建以来の歩みを総括し、右派や左派などの党内の路線問題について評価を下した。その中で、毛以外の有力幹部が過去にとった路線について「誤り」と断じ、最終的に「全党は一致して毛同志の路線の正しさを認識し、その旗の下に団結した」と結論付けた。
その直後に開かれた党大会で、毛の路線は「毛沢東思想」として党規約に明記された。毛の絶対的な指導権を党内で確立したが、その後に個人崇拝が助長されることにつながったと指摘される。
2つ目の歴史決議は、鄧小平が主導した81年6月の「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」だ。49年の建国以来の歴史について総括したものだが、最大の目的は、76年に死去した毛、そして毛が発動して中国全土を大混乱に陥れた「文化大革命(文革、66~76年)」に対する歴史的評価を行うことだった。
文革については「党、国家、人民に、建国以来最も深刻な挫折と損失をもたらした」という結論を示した。毛に関しては文革で「重大な誤り」があったと指摘する一方、「中国革命に対する功績は過ちをはるかにしのぐ」とも強調。その上で「功績第一、誤り第二」と定めた。鄧はこの決議で、文革路線からの転換を決定づけた。鄧はその後、集団指導体制の下で改革開放政策を推進し、中国を経済成長へと導いてゆく。(北京 三塚聖平)
■習氏、歴史決議で権威付け 長期政権正当化狙い 8日から6中総会