ビブリオエッセー

    ふるさとの夕焼けは荘厳だった 「食堂かたつむり」小川糸(ポプラ文庫)

    衝撃的な出だしだ。主人公の倫子が帰宅すると、同棲していたインド人の恋人がすべてを奪って消えていた。台所道具から食器、二人でお店を持とうとためたお金も何もかも。倫子はショックで言葉を失う。声が出なくなったのだ。以後、筆談のカードとペンを手放せない。

    行くあてのない倫子はなけなしのお金で深夜高速バスの切符を買い、10年前に家出して以来、音信不通だった憎い「おかん」のいる山里の実家へ向かった。大好きだった祖母が遺した形見のぬか床を抱えて。

    テレビドラマ『ライオンのおやつ』で小川糸さんのファンになり、さっそく読んだのがこの小説。テンポがいい。25歳の倫子にできることは得意な料理以外にない。飼っている豚の世話をすることを条件におかんから高い利息でお金を借りて実家の隣で食堂を始める。一日一組、地元の食材で調理する食堂を。

    店名は「食堂かたつむり」に決まった。「あの、ちいさな空間をランドセルみたいに背中にせおって、私はこれからゆっくりと前に進んでいくのだ」「一度殻の中に入ってしまえば、そこは私にとっての『安住の地』以外のなにものでもない」。倫子の決意表明である。

    さまざまなものを抱えたお客たちと料理を通してわずかずつ心が癒やされていく。静かさに満ちた小説だが感情が揺さぶられる事件もいろいろ起きる。なによりおいしそうな料理がたまらない。ささやかなだし茶漬けまで。

    大切な豚を始末して料理するシーンは苦手だなと思ったが血の一滴まで愛情をこめた作業を読み進むうちに崇高さを感じた。やがて倫子はおかんの人生を、本当の気持ちを知ることになる。この荘厳な夕焼けの見えるふるさとは、倫子に生きる力を与えてくれた。

    大阪市中央区 河田めぐみ(60)

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