これはいったい、どうしたことか。米政治の「病」がフランスにも広がった。
5カ月後に迫る大統領選で、扇動的な評論家が選挙の構図を激変させた。エリック・ゼムール氏という。
「このままではフランスは、イスラム国家になる」が彼の持論。白人がかつて植民地を広げたように、今度は中東やアフリカから移民が欧州に押し寄せ、白人キリスト教社会を圧倒する、というのだ。
欧州域外からの移民とその子供は現在、仏人口の約13%を占める。それが白人社会を凌駕するとは信じがたい話だが、世論調査では仏国民の61%が「現実になりうる」と答えた。
ゼムール氏は政党に属さず、出馬表明すらしていない。それでも、マクロン大統領に対抗する有力候補として、テレビは毎日追い掛け回す。講演会に行くと、客席はロックコンサートのような興奮ぶりだった。
私は仏大統領選の取材が今回で3回目になる。フランス人が、これほど露骨な「反移民」言説に夢中になったのは見たことがない。
63歳になるゼムール氏はユダヤ系で、旧植民地アルジェリア出身の移民2世。パリ郊外の移民街に生まれた。出自を見れば、移民を擁護してもおかしくないのに、イスラム敵視の主張を遠慮なく語る。
先日は、故郷を訪ねる番組でイスラム女性に突然、「スカーフを取ってください」と迫った。住民が騒ぎ、殺気立つ場面を中継しながら、トークショーは「これぞ本音の論議」と盛り上がる。彼は日本ファンでもある。「移民を拒んできた日本こそ、モデルにすべきだ。失業率は低く、貿易は黒字。治安もよい。フランスにないものがある」と絶賛する。
彼の登場で、政治論戦は「移民と治安」一色になった。新型コロナウイルス禍後の経済復興、医療や環境問題など、国の課題はめじろ押しなのに、さっぱり論議が広がらない。
米国はトランプ大統領の登場後、「自国第一」「反移民」の声高な主張が、国民を分裂させた。ゼムール現象もこれに似ている。フランスの違いは、この人の登場で政界全体が右に動いたことだ。
保革中道政党は、論争に完全にのみ込まれた。保守系の共和党では大統領選の候補者選びを前に「移民はテロと関係する」「受け入れの一時停止を」の強硬論が飛び交う。社会党の元閣僚からも「移民の外国送金を止めよ」の声が出る。
ゼムール氏と「国民連合」のルペン党首という、反移民が売り物の「2人の極右」は合計30%以上の支持を集めるのに対し、かつての保革二大政党は合わせて20%に満たない。マクロン大統領も「イスラム分離主義と戦う」と言い、移民に厳しい姿勢を示す。
背景には、コロナ危機が生んだ国民の不安がある。
フランスでは11万人以上が感染死し、長い都市封鎖が続いた。「国を守れ」という意識が高まり、「外敵」への警戒感を生んだ。折しも、パリでは130人が死亡した2015年の同時多発テロの裁判が続く。イスラム過激派の被告が証言台でフランスへの変わらぬ憎悪を語り、世間を震撼(しんかん)させている。犯罪件数は特に増えていないのに、大統領選では「治安対策が大事」と答えた人は8割を超えた。
漠然とした不安の中で、過激な主張がまかり通る。民主主義の先駆だった米仏で、なんとも不気味な展開だ。(パリ支局長)