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【音声で聴く 戦後史開封】私は追放された 元産経新聞北京特派員・柴田穂の回想

第1話 日曜朝の国外退去通告(第1話は登録なしでお聴きいただけます)
在りし日の柴田穂記者=東京・大手町の産経新聞社
在りし日の柴田穂記者=東京・大手町の産経新聞社

中国の文化大革命のさなかの1967(昭和42)年、産経新聞の北京支局長だった柴田穂(みのる)記者が突然、国外退去処分となりました。柴田記者は文革を丹念に取材していたため、中国当局には都合が悪かったのです。

柴田記者は平成4年に亡くなりましたが、帰国後に執筆した連載を再構成して、改めて「新聞の自由」について考えます。

柴田記者役は、フジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」の2代目ナレーターとしても知られる木村匡也さんです。

第2話 壁新聞の取材

第3話 日本人紅衛兵たち

第4話 政治の谷間の子供たち

最終話 文化大革命とは何だったのか

【用語解説】

■毛沢東(もう・たくとう、1893~1976年) 1921年に中国共産党の設立に参加。31年に中華ソビエト共和国臨時政府を樹立して主席となった。日本の敗戦後に国民党軍を破り、49年に中華人民共和国を建国。政府主席から国家主席となり独裁体制を敷いたが、工業と農業の「大躍進政策」に失敗して、国家主席を劉少奇に譲った。党主席にはとどまり、文化大革命を起こして実権を奪い返した。

■文化大革命 1966年に毛沢東の主導で起こされた、文化・思想運動の形をとった権力闘争。毛を崇拝する若者は「紅衛兵」となり、「造反有理」のスローガンの下でさまざまな機関の幹部や知識人らを弾圧。社会や経済は大混乱した。76年に毛の死去と夫人の江青ら「四人組」の逮捕で終結した。中国共産党は81年、文化大革命を否定し、毛の誤りを認めた。

■北京空港事件 日本共産党と中国共産党は蜜月関係だったが、ソ連への評価などをめぐって1966年に決裂。北京に駐在していた日本共産党の砂間一良中央委員(後の衆院議員)と紺野純一「赤旗」特派員が67年8月3日から4日にかけて、帰国しようとした北京空港で中国人と日本人の紅衛兵から長時間にわたって暴行を受け、重傷を負った。98年まで32年間、両党は断絶した。

■劉少奇(りゅう・しょうき、1898~1969年) ソ連留学後、1921年に中国共産党に入党。中華人民共和国成立後、国家副主席、59年には毛沢東に代わって国家主席に就任。文化大革命で党籍を剥奪され、幽閉されて死亡。80年に名誉回復。

■林彪(りん・ぴょう、1907~71年) 1925年に中国共産党に入党し、軍の要職を歴任。党副主席として文化大革命の先頭に立ち、毛沢東の後継者に指名されたが、クーデターを企てたとして失脚。朝日新聞は当時、失脚説を否定する報道を行った。ソ連に逃亡する途中、モンゴルで墜落死したとされる。事件をめぐっては謎が多い。

■日中記者交換協定 日本と中国は国交がなかったため、民間貿易協定の窓口を通じ、親中派の自民党国会議員も関与して1964年に結ばれた。当初、産経新聞など9社が北京に常駐した。柴田穂記者らが追放された後の68年、田川誠一衆院議員(元朝日新聞記者)らが「中国敵視政策をとらない」「『2つの中国』をつくる陰謀に参加しない」などの原則を日本新聞協会に無断で受け入れた。72年の日中国交正常化後に失効した。

■柴田穂(しばた・みのる、1930~92年) 東京生まれ。昭和29(1954)年に東京外大中国語学科を卒業し、産経新聞社に入社。ソウル特派員を経て北京支局長となったが42年に中国から追放。外信部次長、ソウルでの長期取材などを経て59年に論説委員長。「毛沢東の悲劇」など中国報道で菊池寛賞受賞。その他の著書に「金大中の挫折」「金日成の野望」など。

【音声で聴く 戦後史開封】私は追放された 元産経新聞北京特派員・柴田穂の回想
原作 産経新聞連載「わたしは追放された」(昭和42年、柴田穂執筆)、「毛沢東の悲劇」(52~54年、同)
構成・解説 渡辺浩(産経新聞社)
語り手 木村匡也
女性の声 相川由里
音響監督 向井達也(オレンジボックス)、西連寺泰弘(サイ株式会社)
制作 産経新聞社
■木村匡也(きむら・きょうや)
 昭和40年、福岡県生まれ。西南学院大卒。平成元年にDJとしてデビュー。その後、ナレーター、声優として「進め!電波少年」「めちゃ×2イケてるッ!」などに出演。今年4月、キートン山田さんの後を継ぎ、「きむらきょうや」名義でフジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」の2代目ナレーターに就任。

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