追求・行動・分析の“高岡式”メソッド
「やりたいこと」を追求する性格と行動力は、これまでの自転車との向き合い方にも見て取れる。
初めてロードバイクに乗ったのは中学2年の時だった。貯金をはたいて買った入門用のロードバイクを駆って地元の神奈川県秦野市の峠に1人で挑み、より遠く、広がっていく世界に魅了された。自転車への適性を自ら感じ、高校時代にロードレースを本格的に志すも、進学した高校では自転車部がなく、先生に頼み込んで部員1人の自転車部を立ち上げた。高校総体に出場するためには、部活動として全国高等学校体育連盟(高体連)への登録が必要だったからだ。
授業が終わると急いで帰宅し、1人で練習。週末は中学時代に出会った友人や自転車仲間と一緒に走り、走力を鍛えた。練習仲間には後に全日本選手権やアジア選手権で優勝し、アテネ五輪の日本代表にも選ばれるような実力者もいた。そんな環境で着実に実力を伸ばし、高岡さんも高校3年の時には国際サイクルロードレース大会の「ジュニアの部」で優勝するほどにまで成長を遂げた。
受験勉強の時間を自転車の練習に充てるため、進学は慶應義塾大学商学部の推薦入学を選択。大学進学後はプロチームに入団した。1998年のロードレース世界選手権「U23」(23歳以下)の日本代表になるために大学を1年休学して臨んだ。復学後の大学3~4年時には学生日本一のタイトルを狙うために大学の自転車競技部に入り、全日本大学対抗選手権ロードレース大会で優勝。しかし、プロを目指す気持ちはなかった。
「日本でいくら強くても、世界でプロとしてやっていける人は一握り」
あくまで自転車は趣味。周囲の期待をよそに就職の道を選び、仕事に専念するためにロードレースの世界をしばらく離れた。
仕事にも余裕が出始めた28歳の頃、「健康のため」と6年ぶりにまたがったフルカーボン製のロードバイクに衝撃を受けた。「隔世の感があった」というほど素材の進化を感じた。
復活の場に選んだレースが「ツール・ド・おきなわ」だった。眠っていた競争心が目覚め、以来トレーニングに邁進するサラリーマンアスリートの日々が始まった。
練習時間を潤沢に確保できるプロとは違い、会社員の場合、仕事を含む生活の中でトレーニングの時間を捻出しなくてはならない。特に高岡さんの当時の生活は午前7時ごろから始業し、未明の午前0時ごろに仕事が終わるという多忙な日々だった。
そんな限られた時間の中で、目標のレースに向けてコンディションを最高の状態に仕上げる“高岡式自己管理”のポイントは、1週間内の時間の使い方と月単位での調整だという。「ミクロとマクロの視点で物事の流れを考えることが自分の強み」と自己分析する。その考え方はロードレースの戦略だけでなく、仕事やライフスタイルにも通ずる。
「こぎだそう、そして何かが変わる」
会社勤めを辞めて1年半。ショップのオーナーになっても高岡さんの行動は周囲の関心を集めている。
昨年8月には鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬までの約2600キロを自転車で縦断するギネス世界記録に挑戦。6日間と13時間28分という最速記録を打ち立てた(これまでの記録は7日間と19時間37分)。
新型コロナウイルス禍の影響で大会やイベントの中止が相次ぐ中、自身のチャレンジとして課したものだが、一方で「自分も加齢を感じる年齢になり、どう自転車に楽しく乗り続けるかが最近のテーマになっている」と語る。そんな中、「長距離なら歳を重ねても楽しめるということを伝えたい」と思った。ショップのオーナーとして楽しみ方を発信する側となり、自身を介した自転車の“見られ方”にも意識が向いてきた。
自転車愛好家にとって憧れの「自転車漬けの生活」を手にした高岡さんだが、ビジネスの世界はそう甘くはない。自転車は日本ではいまだメジャースポーツとはいえず、RX BIKEのようなプロショップは商売が難しいといわれる。しかし、高岡さんは「みんなが『できない』と言うなら、自分にはできるかもしれない。そこに勝機はある」と静かに闘志を燃やす。
「今は文字通り自転車操業ですけどね」
そうはにかみつつ、一つの事業を全て自分の手で回すという会社員時代には得られなかった経験に、「失敗も含めて今後の糧にしたい」と目を細める。
「PEDALING MAKES THING BETTER~こぎだそう、そして何かが変わる」
通りに面したショップの窓ガラスに書かれたメッセージはまさに、次の人生を自転車とともにこぎ出した高岡さん自身の今の思いなのかもしれない。
【ビジネスマンはアスリート】は仕事と趣味のスポーツでハイパフォーマンスを発揮している“デキるビジネスパーソン”の素顔にフォーカス。仕事と両立しながらのトレーニング時間の作り方や生活スタイルのこだわりなど、人物像に迫ります。アーカイブはこちら