セオリー破りの裏側
読者を引きつけたのは、ビジネスの現場を舞台にした漫画の定番に反して状況が淡々と悪化していくリアルさだ。かつてモーレツ社員世代のバイブルとされた『課長島耕作』(弘兼憲史さん、講談社)では道義に合わないことをする人物の失脚や、個人主義を振りかざしてしくじる後輩などを主人公と対比して描くことで読者に爽快感を与える仕掛けがあった。いわば会社人にとっての勧善懲悪、都会のおとぎ話だ。
読者の範囲が紙の雑誌からスマートフォンにまで広がった近年では、気遣いの欠けた言動で職場を混乱させる社員が相応の報いを受ける女性向け作品がSNSで流行り、「勧善」よりも「懲悪」が目立つ傾向もうかがえる。
TOMEさんはエンターテインメントでは懲らしめられる存在としての悪役が重要なポジションだと理解しながらも、こうした物語の構成は「モデルにした方や前の職場に迷惑がかかるといけないから」と断念。だが、ドラマチックな展開を避けたことがかえってリアルさにつながった。逆に、現実ではほかの社員がしたミスを漫画では主人公がしたことにして、トラブルが相次ぐ展開でフィクションらしさを出す工夫を凝らした。
連載中にヘッドハンティング
漫画ではほとんど強調されていないが、TOMEさん本人は連載前から転職を複数回経験している。会社勤めをせずに個人事業でアプリ開発をしていた期間もある。
漫画を書き始めたときはまだ、現在は退職している4社目の会社に勤めていた。作品で描いたように自分の考えに反して「ボーナスなし」を会社から突きつけられたことから退社を意識しだして、自身を投影した主人公に影響されるように真剣に考え始めた。
転機が訪れたのは8月。前の職場での知り合いが漫画を読んで、転職を考えているなら話をしたいとTwitterのダイレクトメールで連絡をしてきたのだ。独立して、医療データを人工知能(AI)で解析する事業をしているので力を借りたいというヘッドハンティングだった。TOMEさんは悩んだ末にこの申し出を受けて、採用試験を経て12月からこの会社で働くことを決めた。
ドラマよりもドラマチックな展開は漫画にも採用され、物語は退職した主人公が知人の紹介で就職先を求めるところで幕を閉じる。妻子と家のローンを抱えたまま収入が途絶える経済的な不安よりも、新しい仕事への希望を感じさせる明るい終わり方だ。
「真面目に働いて経験を積み重ねることで人の縁が生まれるという、大切にしているテーマを描けたと思います」
これまでの連載をまとめた作品が今月上旬から電子書籍ストアのブックライブで配信されており、26日にはAmazonのKindleでも購入できるようになる予定だという。エンジニアを対象とした転職サービスと同作がコラボした広告の仕事も舞い込み順風満帆のようだ。