ヤングケアラーだったケアマネジャー 家庭の閉塞感に風穴を

    長野県御代田町 美斉津康弘さん(48)

    少年時代に介護した母の写真を手にするケアマネジャーの美斉津康弘さん=長野県御代田町(原田成樹撮影)
    少年時代に介護した母の写真を手にするケアマネジャーの美斉津康弘さん=長野県御代田町(原田成樹撮影)

    家族の介護や世話に追われる「ヤングケアラー」の切実な実態が明らかになってきている。長野県御代田町のケアマネジャー、美斉津(みさいづ)康弘さん(48)は、若年性アルツハイマーの母親を介護した経験を今年、テレビで公表した。パイロットを目指し、社会人アメフトでMVP(最優秀選手)に輝くなど華々しい過去も、実は母親がきっかけだった。自分のように自尊心を無くし、すべてを諦める子供たちが減ってほしいと話す。

    小学5年のときに母が鏡に独り言をつぶやき始め、買い物から置いていかれたこともありました。中学では帰宅すると母を捜すのが日課で、下の世話で自尊心も無くなりました。つい手を上げ、後で自己嫌悪に陥るの繰り返し。先生に相談できず世間から母を隠すことばかり考えていました。楽しく過ごす友達を見て被害者意識も膨らみました。

    高校1年で母が入院し、介護から解放されました。母のことはなるべく考えないようにし、地元を離れたい、パイロットになって上空で現実逃避したいと、防衛大(神奈川県横須賀市)に進みました。母は大学1年のときに亡くなりました。

    自衛隊入隊時に視機能が原因でパイロットコースに進めず、3カ月で辞めました。その後、防大でのアメフトの成績を買われ、実業団チームに入りました。所属した会社が介護事業に参入すると、自ら出向を希望してヘルパー(訪問介護員)になりました。アメフトを始めたのも運動能力を生かしたら陸上の国体選手だった母が喜ぶと思ってのこと。もう過去は乗り越えたと思っていました。

    しかしその後、母を突き飛ばした記憶で毎晩うなされるようになり、贖罪(しょくざい)のため休日に老人ホームで掃除したり、教会に通ったりしました。32歳で選手を引退し、転職してケアマネになりました。子供の頃、ケアマネがいれば私がどれだけ救われたかと思ったからです。介護の窓口となるケアマネは家庭の閉塞(へいそく)感に風穴が開けられます。


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