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なぜ破産覚悟で「夢の国」を建設したのか…開園当日にウォルト・ディズニーが考えていたこと

■芸術へ成長させたアニメーション制作にも嫌気が

ウォルトはベッドに入った。

ここまで長い道のりだった。カンザスシティの農家の息子で、家計を支えるため、夜明け前の雪道で寒さに震えながら新聞配達をしていたウォルト少年は、今やすっかり有名人になった。低俗でもの珍しいだけだったアニメーションを、ほぼ独力で高い利益を生む芸術へと成長させたのだ。それでも今は、ミズーリ州にいた少年時代と同じくらい、心もとない気分だ。

「なぜ遊園地を?」パークの足場の陰でジャーナリストに質問されたとき、ウォルトの答えはいたってシンプルだった。「この20年というもの、何か自分だけのものが欲しいと思っていたんだよ」

もちろん、理由はそれだけではない。ウォルトはアニメーションをつくるのに疲れてしまったのだ。1941年には、スタジオでストライキが起こるという苦い経験をし、第二次世界大戦が終結する頃には、ご多分に漏れず、ウォルトも不満と先行きの不安を感じていた。

大衆が求めるものを敏感にかぎ取るウォルトは、世間の人々も自分と同じ思いをしているに違いないと考えた。安らぎを得たいという、ディズニーランドのような場所を求める人々の存在に気づいたのだ。

■殺伐とした時代への解毒剤となる場所を

現在とはご立派なもので、今このときこそが、かつてないほどの驚異に満ちた瞬間なのだと思わせる。一方で、過去は「物事が単純だった頃」というもっともらしいカテゴリーに収まりがちだ。1950年代という「今」は、ダンスパーティーや温和なアイゼンハワー大統領、車が2台停とめられる車庫、エルヴィス・プレスリー、そして世界の産業界を席巻する戦勝国アメリカといった、見せかけのイメージによって燦然と輝いていた。

だが、時代が輝いて見える人はほんの一部で、みなどうにか前に進んでいる状態だった。終わったはずの戦争は人々の心になお暗い影を落とし、共産主義への恐怖は高まるばかり。アメリカ人のほとんどはこの当時、どこかしら不安を覚えていた。

ウォルト・ディズニーが思い描いたディズニーランドは、殺伐として不安と疑惑に満ちた時代への解毒剤となるもの、あるいはより良い未来を力強く肯定するものだった。もちろん、客を楽しませ、お金を落としてもらえる場所でなければならないが、ウォルトはそれと同時にアメリカの過去を引き合いに出すことで、ディズニーランドを訪れる人々に、未来は安全で豊かだという希望を抱いてほしかったのだ。

ウォルトは生命保険を担保にし、別荘を売り、ありったけの借金をした。そしてウォルト自身そうあってほしいと願い、人々にも同じ目で見てほしいと願った世界を、三次元の形で再現しようとした。

だが、この計画に賛同を得るのは容易ではなかった。当初から投入された150万ドルは、その多くが無駄遣いに終わっている。

■建設費は総額1億6000万ドルに膨らんだ

タウンスクエアにアスファルトが敷かれる音を聞きながら、ウォルトは総額1700万ドル(現在の価値にして1億6000万ドル)にもなる経費について思いを巡らしていたに違いない。1920年代に自身初の大ヒットとなったアニメのキャラクター「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の権利を奪われたときのように、ウォルトにはもう何も残っていなかった。

それでも、ウォルトはディズニーランドをつくったのだ。

窓の外では重機の騒音が鳴り響き、ウォルトはほんの数時間しか眠れなかっただろう。午前6時にはベッドを出て着替え、テレビ番組のリハーサルに向かおうとした。だが、出鼻をくじかれる。夜間に消防署の塗装作業が行われ、アパート部分にも塗られたペンキがすっかり乾いて、ドアが開かなかったのだ。

ウォルトは人生で最も重要な一日を迎えるために、警備員を呼んで外に出してもらわなければならなかった。


リチャード・スノー(りちゃーど・すのー)歴史小説家

アメリカの歴史専門誌『アメリカン・ヘリテージ』の編集長を17年間務めたのち、歴史映画のコンサルタントに。ドキュメンタリー作家としての顔も持ち、2016年出版の”Iron Dawn:The Monitor, the Merrimack, and the Civil War Sea Battle That Changed History”は優れた海軍文学に贈られるサミュエル・モリソン・アワードを受賞している。

(歴史小説家 リチャード・スノー)



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