フランスと日本で活動し国際的に高く評価された神戸市出身の抽象画家、菅井汲(すがいくみ)(1919~96年)の愛したポルシェが広島県立美術館(広島市中区)の1階ロビーに展示され、訪れる人の目を引いている。スポーツカーファン垂涎(すいぜん)の「1973年式ポルシェ911カレラRS」(ナナサンカレラRS)。中でも200台しか生産されなかったというスピードに特化し軽量化されたライトウェイト仕様だ。菅井によって手を加えられた箇所はほぼそのまま残されている。
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眠りから覚めたポルシェ
菅井が所有したこのポルシェは、妻の光子さんが平成15年に亡くなった後、光子さんが広島出身だった縁もあり、遺族から作品や資料とともに寄贈された。
県立美術館ではお披露目的な形で過去に一度だけ展示。他の会場でも展示されたことはあったようだが、その後は県立美術館で静かに眠り続け、まさに幻のポルシェとなっていた。
県立美術館は今年、リニューアルオープン25周年を迎え、11月9日には日本画家の平山郁夫や陶芸家の今井政之ら、広島ゆかりの著名作家の代表作を一堂に展示した新展示スペース「ウェルカムギャラリー」をオープン。この機に合わせて「車を好きな方が、当館で出合った作品を通して美術も好きになっていただけたら」(広報)との思いも込め、ポルシェの展示を決めた。
速さにこだわり
今年25年ぶりにリーグ優勝を果たしたプロ野球オリックスの前身、阪急ブレーブスのマークなどを制作したことでも有名な菅井。阪急電鉄宣伝課で商業デザインに携わった後、昭和27年に渡仏し、パリにアトリエを構えた。
はじめは日本の神話的イメージの絵画を手がけていたが、パリの画廊の勧めで版画を始めた。作品には、ポルシェの影響もあったといわれている。
菅井に詳しい主任学芸員の角田新(かくだあらた)さん(58)によると、ナナサンカレラRSは「菅井の所有したポルシェとしてはおそらく4台目」。この車を購入する前の42年、菅井は交通事故で瀕死(ひんし)の重傷を負うが、奇跡的に助かった。
「交通事故の治療で体が十分動かないときに、次のポルシェを購入しに行き、ディーラーには『自分でドアを開けられるようになってから来なさい』と言われたそうです。なぜそうしたのか。『ここでやめると、負けだと思った』と言ったそうです。何に負けると思ったのか…」
事故後も「速さ」への思い入れは変わらなかった。角田さんは続ける。
「本音はどこにあるのか分からない。けれど、彼は『絵描きがいくら命懸けで絵を描くと言ったって、絵を書き損じて死ぬことはない。だけど、車を運転していて、判断を一つ間違えると死んじゃう』という言い方をしています」
息遣いが聞こえる
ナナサンカレラRSの現存車両は非常に少ないとされ希少だ。それだけではなく、菅井の思い入れやこだわりがそのまま残されていることも大きな魅力だ。
角田さんによると「極論すれば、菅井汲がつけた汚れが残っている状態。ヘビースモーカーだったことは有名でたばこのヤニの汚れなども個性、大事な資料として残すという考え方もある」と説明する。
後部には、菅井が監督を務めたソフトボールチーム「フェスティバル」のステッカー。「f」が入ったデザインは菅井だ。ほかにも、運転席のドア部分に軽量化の仕掛けが施されているなど、菅井の個性が随所に光っている。
「彼の作品は菅井のシグナルといわれ、作品そのものが当時の美術業界では標識のようだといわれていました。彼自身、50メートル離れても自分の作品だと分かってもらえる作品をつくりたいと言っていた。それが独特の記号のような絵になっていった」という角田さん。
世界に通用する唯一の日本人作家といわれた時代も。「菅井汲という人物がいたのだということを多くの方に知ってほしい」と話していた。(嶋田知加子)