• 日経平均26840.75624.96
  • ドル円144.86144.87

「ペリーが来る」最重要情報を生かせなかった幕府の失敗 ペリー来航予告と幕閣・阿部正弘(1)

すなわち、弘化元年(1844年)にオランダ国王がわざわざ日本はもはや開国した方がいいですよ、さもないとアヘン戦争で敗北した中国のようになりますからと、「開国勧告」の徳川将軍宛親書をもたらした。それにもかかわらず、阿部正弘を首班とする幕府は「二度とこのような書簡を送らないで」と、老中たちの奉書(将軍の意を受けて家臣などが書いた書状、外交関係にあるなら将軍直書を送るべき)をオランダに返答していたからである。

「鎖国」の限界

幕末の日本にとって最も重要な「ペリー来航予告情報」が受け取れないという、まずは大失策があった。これは、手紙は送ってくれるなよという手紙を送っておけば、二度とこのような煩わしいことは起きないだろうという誤算があったのだ。これが最初の誤算と失策だ。

なぜこうした誤算が起きたのか。オランダ人は商売をしたいがために日本にやってくるのだから、提供される情報もオランダの利益になることだけで、我らはだまされてはならぬ、というスタンスが、長崎奉行や老中には抜きがたく存在した。確かに疑ってかかるのも重要だが、そうしたスタンスにとらわれず、今日の世界情勢の文脈のなかで対外情報をとらえることが大切だったように思う。まあ、それがいわゆる「鎖国」の限界ともいえる。

では、長崎奉行から、第一弾の予告情報と第二弾(総督公文書)を受領してよいかという伺書を提出された阿部正弘はどうしたか。システム上、一人では決断はできない。まずは、日本の防衛と対外関係の諮問にこたえる機関である海防掛(かいぼうがかり)に諮問した。勘定奉行や目付から構成された海防掛は、返答をしないで済む「覚書」として受領したらどうか、となかなかな答申した。やはり「受け取らない」と申し渡していても今回の情報は必要だ、その点で阿部も海防掛も一致したのである。阿部は、長崎奉行に「覚書」として受け取ることを指令した。

こうして8月、長崎奉行は自分宛のバタフィア総督の公文書を正式に受け取った。もちろん返事はしないとして、であるが。オランダ通詞たちは必死に翻訳した。第一弾の別段風説書も分量が多いが、公文書も分量は結構ある。それに、世界の大勢など海外の知識や地理的な素養も必要だった。そうした知の蓄積が長崎にあったことは幸いであった。長崎は、毎年全国各地から多くの遊学者を受け入れる国内最大の留学先でもあったのだ。

公文書には、アメリカの外交は軍艦を派遣して行う強硬なこと、アメリカはヨーロッパの列強とも肩を並べる強国であること、オランダ国王の開国勧告での日本側の対応は十分に知っていたが、今回はやむを得ず公文書を送ったこと、その対応に際してオランダが用意している「方便」があること、それは、商館長ドンケル=クルチウスが詳しいこと、そのために彼を派遣したこと、「方便」実現のための日蘭協議委員会を設置してドンケル=クルチウスを委員に加えてほしいとこが縷々記してあった。

さらに、自分の利益のためではなく日本のために言うのであり、世界から日本が孤立することは無意味で、戦争は無益とも語っていた。すなわち、アメリカの要求を拒めば、戦争になるからオランダは親切で助言しているのですよ、と言っているのだった。確かにおっしゃる通りなのだが、どこか怪しいところもある。巧言令色少なきかな仁、でもある…。

果たして、阿部はこの提案を受け入れたのか、そしてオランダのいう「方便」と何なのか。

それは失策になるのか、成功なのか。

誤算があったのか、なかったのか。

さらなる展開に請うご期待。

■主な参考文献

岩下哲典『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』洋泉社、2006年

同『幕末日本の情報活動(普及版)』雄山閣、2018年


Recommend

Biz Plus

Recommend

求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)

求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)