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2030年冬季五輪招致の札幌市 市民理解の獲得が鍵

2030年冬季五輪の招致に向けて本格的に動き出した札幌市。五輪に対する国民の不信をぬぐい切れない中、機運醸成に向けた本格的な市民対話が今年から始まる。前回の札幌冬季五輪が行われてから、今年でちょうど半世紀。札幌市が掲げる大会の成功と、人口減少社会を見据えた街づくりの「二兎追う戦略」は奏功するのか。

五輪教育を終えた子供たちに笑顔で手を振る鈴木靖さん(右から2人目)らオリンピアンたち=令和3年12月2日、札幌市中央区の札幌オリンピックミュージアム(坂本隆浩撮影)
五輪教育を終えた子供たちに笑顔で手を振る鈴木靖さん(右から2人目)らオリンピアンたち=令和3年12月2日、札幌市中央区の札幌オリンピックミュージアム(坂本隆浩撮影)

2度目の冬季五輪「歓迎」

1972(昭和47)年2月3日、札幌市の真駒内公園屋外競技場で開かれた札幌冬季五輪の開会式。当時、小学校入学前だったという主婦の熊谷まゆみさん(56)=札幌市在住=は聖火が点灯された後、笑顔でスケートリンクを滑る約800人の子供たちの輪の中にいた。喜びにあふれる雰囲気の中、開会宣言に合わせて風船が青空に放たれ、会場は祝祭ムードに染まった。

五輪をきっかけに街が変わっていく様子も印象的だったという。地下鉄が誕生し、選手村のあった真駒内地区も当時では最先端の高層マンションが立ち並ぶ一大住宅地に。活気があったはずの街は今、高齢化が進んで「さびしくなった」。

コロナは今後どうなるのか、地域経済は―。将来の不安も感じる中で知った札幌市の冬季五輪招致を熊谷さんは「新しい街づくりにつながるのなら大歓迎」と前向きに受け止める。

元オリパラ選手が講義

「世界中から集まった選手が一生懸命プレーをする姿を見て夢や希望を感じる。スポーツのすばらしさを僕たちがアピールしなければ」。1984年のサラエボ五輪でスピードスケートに出場し、北海道のオリンピアン、パラリンピアン約450人が所属する「北海道オールオリンピアンズ」のゼネラルマネジャーを務める鈴木靖さん(56)はそう語る。


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