さらば青春の光−ありがとう「東急ハンズ」

    ホームセンター運営大手カインズ傘下に入ることとなった「東急ハンズ」。

    創業時のコンセプト「手の復権」がゆえに「手」をアイコン化したロゴ(写真筆者)
    創業時のコンセプト「手の復権」がゆえに「手」をアイコン化したロゴ(写真筆者)

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    早速パーソナリティの辛坊治郎氏は「私にとって青春なのです」とコメントしていましたが、世代によりグラデーションの濃淡はあるにしても「東急ハンズ」のお世話になった思い出をもつ人は少なくないのではないでしょうか。

    筆者もそんなニュースを聞いたばかりの折にたまたま東急ハンズ某店に立ち寄ると、お笑いコンビ「さらば青春の光」を起用したポスターに目が留まりました。「さらば青春の光」といえば布袋寅泰氏も同タイトルの曲をリリースしていましたし、もっと古くは1970年代のモッズムーブメントをフィーチャーしたイギリス映画も思い出します。「さよならだけが人生だ」などと同様、特段寓意があるというわけではないのに、なんともある気分を表現するのにピッタリくる瞬間が存在する不思議な言葉の一つかもしれません。

    辛坊さんならずとも、東急ハンズが業績の低迷もあっていったん経営母体が変わり、そのうちにはきっと“東急ハンズ”というブランドも変更されるかもと思うと、やはり一時代の終わりを感じずにはおれません。限られた予算でも可能な創意工夫の種とDIY(Do it yourself)のツールで、我々の若き日のライフスタイルや創作活動を支えてくれた“ハンズ“(そうぼくらは、往々親しみを込めて“ハンズ”と呼んできましたよね)が、一つの節目を迎えたことにはまさに「さらば青春の光」という感慨をもってしまうのです。

    「手の復権」をコンセプトにしたユニークな店づくり

    1976年に東急不動産傘下で立ち上がった「東急ハンズ」も今や海外15店舗を含む63店舗。サブブランド「ハンズビー」20店舗。主要都市を網羅しています。

    東急不動産の遊休地利用のためにプロデューサーとして有名な浜野安宏(はまのやすひろ)氏の提案で立ち上がったブランドであることは有名です。「手の復権」をコンセプトにしたからゆえの「ハンズ」というブランディングだったわけですが、当時の生活者に与えたインパクトは計り知れません。一号店は神奈川県「藤沢店」、二号店は東京世田谷「二子玉川店」と東急グループらしい出店地域ですが、何より生活文化への影響が大きかったのは東京渋谷店だったのではないでしょうか。

    にぎわい人が集まる街には、鉄道線路や道路に挟角ではさまれたある種非合理的な地形、区画(東京で言えば下北沢や三軒茶屋)があるという論を聞いたことがありますが、渋谷自体が都会のラビリンス的な狭い地域、渋谷の「谷」に無数の路地や坂が挟角交差する独特の地形。確かに歩いているだけでドキドキさせられる何かがある街です。

    そんな渋谷ならでは迷宮感をそのまま建物内に引き込むようなステップフロアの渋谷店の建物は、複数ある入口の接する道路の高低差を反映して、違う階高からの導線になっていて、その日どちらからアクセスするかでお店の印象がガラリと違って感じたものでした。

    この各階平面をいくつかのブロックに分け、少しづつ高低差をつけるやり方は、現在建替えのために取り壊されてしまいましたが、昭和の商業ビルの代表だった東京銀座ソニービルなどにも見られる方式です。回遊性の高さが商業施設としての眼目でもあり、まさにその機能を果たしていたわけです。その上で、売り場空間が細かく区切られそれぞれの独立性が高いことで、それぞれのフロアがまったく違うテーマの展覧会場のようなワクワク感を醸し出していたのだと思います。いやむしろ東急“ハンズ”というぐらいですから、良い意味文化祭的手作りの非日常空間とでもいいましょうか。

    外国人が必ず驚く日本人の文化的長所、狭い空間に宇宙を詰め込む的特有の伝統的空間認識。幕の内弁当、おせち、日本庭園。そして、商業施設で言えば日本でこそ開花したコンビニエンスストアなどはそんな特性が生きた事例でしょう。まさに東急ハンズのお店づくりも、何かを作り出したくなるようなインスピレーションの起点になるアイテムがこれでもかと狭い空間に詰め込まれた、生態系とも小宇宙とも言いたくなるような豊かさにあふれていたのです。


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