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国動かした慎太郎節 尖閣購入「何か文句ありますか」

1日に死去した石原慎太郎氏は、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで知られた。国会議員や東京都知事として数多くの足跡を残した一方、その発言で物議を醸すことも少なくなかった。

石原慎太郎氏=2016年4月18日、東京・田園調布の自宅(撮影・戸加里真司)
石原慎太郎氏=2016年4月18日、東京・田園調布の自宅(撮影・戸加里真司)

芥川賞を受賞した「太陽の季節」で、若者のカリスマ的存在となっていた石原氏。国政進出となった昭和43年7月の参院選では、全国区で史上最高の301万票を獲得して初当選し、「いずれは総理大臣を目指す」と気勢を上げた。

大きな転機は、2度目の挑戦となった平成11年4月の東京都知事選。166万票の得票で自民党候補らを破り「既存の政党に価値はない」と勝利宣言した。

1期目からディーゼル車の排ガス規制に意欲を燃やし、再選を目指した15年4月の都知事選で国の対応の遅れを「怠慢」と厳しく批判。その後、国に先行する形で規制を実現させた。

一方、肝いりで設立した新銀行東京が経営難に陥ると、「発案の責任はあるが、私も金融の専門家ではない。経営者に責任がある」(19年6月)と弁明し、「責任逃れ」と批判が集中した。

23年3月の東日本大震災後に被災地のがれきの広域処理に名乗りを上げ、一部で上がった反発の声を「『黙れ』といえばいい」と一喝した。24年4月には「日本人が日本の国土を守ることに何か文句がありますか」と尖閣諸島の購入を表明。その後国有化されたが、賛同者から都への寄付金は約15億円に上った。

夏季五輪招致では21年10月にブラジル・リオデジャネイロに敗れたものの、23年6月に「日本が復興した姿を全世界に披瀝(ひれき)する」と再挑戦し、都知事引退後に昨夏開催の東京五輪が決まった。

震災後の民主党政権の混乱の中で、「次の首相」候補として名前が取り沙汰されるようになり、4期目途中の24年10月に都知事を辞職。「命あるうちに最後のご奉公をしたい」と国政復帰を表明した。

当時日本維新の会代表だった橋下徹氏との共闘、離別の末に、次世代の党を立ち上げたが、26年12月の衆院選で落選。直後の政界引退会見では、「晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」と述べた一方、「心残りは憲法が一字も変わらなかったことだ」と悲願だった憲法改正を実現できなかったことを悔しがった。

死ぬまでは言いたいことを言って、やりたいことをやる。人から憎まれて死にたいと思う」。最後も〝慎太郎節〟を貫いた。


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