ドラマ「新聞記者」を観て思い出す ぼくが会社を辞めたわけ

    Netflixで「新聞記者」を観た。すべてフィクションであると明示されている。だが、森友学園問題において文書の改ざんが仕組まれ、その渦中、財務省の役人の命が失われた、あの事件を想像させるようなストリー仕立てになっている。

    ※画像はイメージです(GettyImages)
    ※画像はイメージです(GettyImages)

    この手の、つまり組織の論理と個人の役割が問われるドラマを見るたびに、ぼくはこの狭間におかれるのが嫌で、日本の会社を辞めたのだと思い出す。ああ、なんてことだ!

    辞めた理由はいくつかある。しかしながら、世の中への見立てに感心できない上司たちに、自分の運命を任せるのが猛烈に嫌だった。というか怖かった。それが理由の一つだ。

    社内事情に対するさまざまな解釈の仕方は、若造のぼくが上司に叶うはずがない。それは年数を積み重ねて働いてきた人たちの言葉を参考にする。

    しかしながら、組織内の事情だけで企業が社会で生存し続けられるわけでもない。社会のロジックの先を見据えてこそ、組織の仕事が回転する。

    だから、世情への見方に信頼がおけない人に自分の人生を預けるのは危険極まりないと感じていた。見方に説得性があるかどうかについては、年齢よりも、適切な見方をする訓練がされているかどうかだ。

    むろん、ぼく自身の見立てが優れていると自負があったわけではない。どちらかといえば、「お~い、この若造を説得させてくれ」と思っていたようにも思う。

    そういう説得力のある人が全くいなかったわけではない。でも、その人がぼくの日常業務の世界にいない限り、その人との会話はぼくにとってガス抜きでしかなかった。

    大きな組織のなかで働くにあたっては、如何に閉塞感に陥らないようにするか。これが人生の質を左右すると学んだ。


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