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スケートフォークダンス 最後の砦守る6人

フィギュアスケートの技術で氷上でフォークダンスを踊るという「スケートフォークダンス(SFD)」が消滅の危機に立たされている。最盛期の昭和50年代半ばには全国17都道府県に協会ができるほど人気が広がったが、平成18年に日本SFD協会が活動休止に追い込まれ、今では会員6人の香川県協会が最後の牙城だ。おりしも北京冬季五輪が開催中。日本スケート連盟指導員で県SFD協会長の植野英昭さん(63)は「フィギュアやアイスダンスとは異なる魅力がある。仲間とともに踊りをつくり上げる楽しさ、達成感、連帯感を広めたい」と話している。

令和2年の発表会で披露された「オクラホマミクサー」。誤解されやすいが「ミクサー」は曲名ではなくダンスの名称=香川県三木町(県スケートフォークダンス協会提供)
令和2年の発表会で披露された「オクラホマミクサー」。誤解されやすいが「ミクサー」は曲名ではなくダンスの名称=香川県三木町(県スケートフォークダンス協会提供)

今年の発表会は中止に

冬季のみ営業する香川県内唯一のスケート場、トレスタ白山(しらやま)アイスアリーナ(三木町)。協会は週2回程度、定期練習会を行っている。会員は男女各3人だが、実際の練習には3人前後しか集まらないことも多い。

定期練習会では、植野さんらがインストラクターの指導を受けながら、熱心にグループスケーティングの練習を繰り返していた。

20年から毎年2月に発表会を開き、SFDを知ってもらう機会を設けてきた。2月24日には15回目の発表会を開く予定だったが人数が集まらず中止に。有志による発表会に切り替わった。

27年の発表会の映像をみると、女性がジャンパースカート姿、男性がベスト姿で、縦の隊列で2人ずつ横に並んで手を取り合い、音楽に合わせて踊っている様子が映っていた。

植野さんは「アイスダンスが氷上の社交ダンスなら、文字通り、氷の上で大勢で行うフォークダンス。フィギュア競技に進む人が多くなって、仲間を増やせなかった」と振り返る。

三笠宮崇仁さまご提唱

SFDは日本アイスダンスの草分け的存在で元フィギュアスケート選手だった金子恵以子さんが開発したとされる。普及会を経て昭和55年に日本SFD協会が発足し、三笠宮崇仁さまが総裁に就任された。

崇仁さまは軍人として終戦を迎え、戦後は日本レクリエーション協会の総裁などを務め、レク運動を牽引(けんいん)された。その一環としてフォークダンスやSFDの普及にも取り組まれた。

40年代後半から50年代にかけて、国内にレジャー施設が少なかった中でボウリング場などとともにスケートリンクも全国各地にできてSFDも盛んになっていったという。

最盛期には会員200人弱

香川県では49年に普及会が発足し、高松国際ホテルスポーツパレス(高松市)を拠点に活動を開始し、55年10月に県SFD協会に改称した。

崇仁さまの存在は大きく49年に約20人だった県SFD協会員は55年には200人弱に。ただ、レジャーが多様化していく中で平成元年約40人、26年24人、令和2年度からは11人(うち休眠会員5人)となっている。

植野さんは「魅力を教えていただいた先輩方やリンク運営などの関係者への恩にこたえるためにも、できる限り存続を目指す」と話す。

県SFD協会では各市町教委などの後援を受け、平成8年度から市民スケート教室を年3回実施してきたが、昨年度と今年度は新型コロナウイルス禍で全て中止となった。勧誘の機会を失い、会員も高齢化や家庭の事情などで練習に集まりにくくなっている。

植野さんは「夜間営業がなくなり練習時間が平日の昼になったので、若い人に知ってもらう機会が限られる。学校でフォークダンス自体に触れる機会も減っているが、体験してもらうと興味を持っていただける。地道に仲間を増やし、再び発表会でスケートフォークダンスが披露したい」と話していた。(和田基宏)


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