利用者減に直面する語り部タクシー 危惧される震災の風化

    仙台中央タクシーで語り部を務める運転手の塩谷清さん=仙台市宮城野区(奥原慎平撮影)
    仙台中央タクシーで語り部を務める運転手の塩谷清さん=仙台市宮城野区(奥原慎平撮影)

    東日本大震災の被災地に車を走らせ、当時の状況を乗客に語り伝える宮城県の「語り部タクシー」が利用者数の減少に直面している。新型コロナウイルス禍での外出自粛が長引いているためだ。11日で11年を迎える震災の風化の表れともみられる。

    「ハードの面で復興事業はほとんど終わり、被災者の心のケアなどソフト面が今後の課題になりそうだ。ただ、100人中100人が復興したと思えない限り、復興は完了しないかもしれない」

    仙台中央タクシー(仙台市宮城野区)の乗務員、塩谷清さん(64)は2月26日、記者と待ち合わせたJR仙台駅前から、被災地の同市荒浜地区に向かう車中、復興の難しさについてこう語った。

    同社が平成24年10月に県内で始めた震災の語り部タクシーは、翌年3月頃には県内の26社に広がった。現在、同社にはNPO法人「宮城復興支援センター」で講習などを受け、語り部に認定された運転手が9人いる。同県名取市閖上(ゆりあげ)地区や石巻市、南三陸町など被災地を2時間半~7時間半で巡回する。乗客の要望に応じたオリジナルコースも可能だ。

    塩谷さんは28年1月から同社で語り部としてハンドルを握る。震災遺構や慰霊碑前で車を降り、震災の報道写真集を一枚一枚ラミネートした写真を示しながら、乗客に被災前と被災直後の状況を伝えている。

    多いときで週に5団体を相手に、被災の記憶を伝えた。「家族ぐるみで利用した子供さんが、その3年後に同級生と再訪してくれたときはうれしかった」と振り返る。資料はボロボロになり、現在は2代目だ。だが、最近は使う機会がめっきり減っている。

    同社によれば、最盛期の25年度は1726団体が同社の「語り部タクシー」を利用したが、年々減り続けている。令和3年度は25団体にとどまった。月別でも、平成25年3月は272団体が利用したが、令和2年12月以降、利用団体が10に満たない月が続く。

    塩谷さんは「利用者減は他社の『語り部タクシー』も同じ。震災は10、11年たつと忘れられてしまうものかもしれない」としんみり語りつつも、語り部を続ける意義をこう強調した。

    「11年前、私も津波に流され、死んでいたかもしれない。生き残ったのは、神様が震災の伝承という使命を与えたためかもしれない。津波は発生してからでは遅い。備えの意識を後世に継承するため、語り部を続けていきたい」

    (奥原慎平)


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