あまりに無謀…織田信長に逆らって、悲惨な最期を迎えた武将3人

荒木村重(1535~86)

荒木村重はもと摂津・池田氏の配下にありながら、やがて織田信長に登用されて摂津国を支配するなど、全幅の信頼を得た。その居城が有岡城(兵庫県伊丹市)だ。ところが、天正6年(1578)10月、ついに村重が信長に謀反を起こす。

村重謀反の理由に関しては、信長に従うよりも、毛利氏に与したほうが自分を生かせると判断し、一か八かの賭けに出たということが有力視されている。

本願寺光佐が村重・村次父子に宛てた起請文には、村重の新知行については、毛利氏に庇護されている将軍・足利義昭に従うよう書かれている(「京都大学所蔵文書」)。村重は早い段階から謀反を検討しており、織田氏・毛利氏との間で二股を掛けていた。

高槻城主(大阪府高槻市)・高山右近や茨木城主(大阪府茨木市)・中川清秀ら村重の与力大名は、当初の段階で村重に従う意向を示していた。本願寺・毛利氏・足利に将軍家に加えて、摂津国内の助力を得られることから、村重は謀反を決意したと考えられる。

村重の謀反発覚は、同年(1578)10月21日のこととされるが、実際にはそれ以前から動きがあった。9月下旬から10月中旬にかけて、福富秀勝、佐久間信盛、堀秀政、矢部兼定が説得のために村重を訪れたが、応じることがなかったという。

同年10月21日、村重の逆心が信長の耳に入った(『信長公記』)。信長は「不足があるならば申してみよ、村重に考えがあるならばそのように申し付けよう」と述べ、松井友閑らを村重のもとに遣わせた。

そのとき村重は「野心などございません」と返答したので、信長は人質として村重の母を差し出すこと条件にして、これまでどおりの出仕を認めたが、村重の謀反の気持ちは変わらなかった。

信長が村重の謀反を止めさせようと考えたのは、敵対する本願寺、毛利氏、足利義昭の勢力に弾みを付けさせないためだった。村重の謀反は、畿内から中国方面の勢力図を大きく塗り替えることになったのだ。

しかし、高槻城主・高山右近、茨木城主・中川清秀は信長に帰順した。同年11月6日の木津川沖海戦においても、織田方が本願寺、毛利氏を撃破。これにより、信長は村重を引き留めず、徹底した殲滅を決意した。

同年11月中旬頃から、村重が籠もる有岡城への攻撃が激化。総大将・織田信忠の攻撃は長期間に及び、村重ら城兵の籠城は10ヵ月に及んだ。翌天正7年9月、密かに村重は有岡城を脱出して尼崎城に逃れた。

有岡城は同年11月に落城し、村重の妻子ら30余人が信長に捕らえられた。村重は降伏するように説得されるが、ついに受け入れなかった。怒った信長は、京都で妻子36人を斬殺し、家臣およびその妻女600人余を磔刑、火刑という極刑に処した。これも見せしめ的な要素が強いといえる。

その後、村重は尼崎城を離れ、花隅城(神戸市中央区)へ逃亡したが、天正8年7月に花隈城が落城すると、ついに毛利氏のもとに逃げ込んだ。本能寺の変が終わった後、村重は堺で千利休から茶を学び、のちに茶の宗匠として秀吉に起用された。

【まとめ】

このように信長に反旗を翻す者は、たとえ重臣であっても徹底的に殲滅された。しかし、それはやけくそになったわけでなく、当時の政治情勢から判断して、合理的な判断があったといえよう。

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