深層リポート

    山形発 「居合道の聖地」から 始祖の林崎甚助重信に迫る

    山形県で武芸史を研究する田中大輔氏(36)は「居合術を創始した、モデルとなった人はいたのだろうが(林崎甚助)重信のことが伝承されていくうちに脚色され、それがあたかも史実であるかのように広く伝わっていったのではないか」とみる。

    山形県村山市にある熊野居合両神社。毎年、居合を中心に奉納演武が行われる(柏崎幸三撮影)
    山形県村山市にある熊野居合両神社。毎年、居合を中心に奉納演武が行われる(柏崎幸三撮影)

    もう一人の林崎

    林崎について調べた研究書『林崎明神と林崎甚助重信』(居合振武会刊)によると、最古の史料は江戸時代初期に書かれたとされる『北条五代記』。そこに「長柄刀(ながつかとう)ノハジマル仔細ハ、明神老翁ニ現ジ長柄ノ益アルヲ林崎勘助勝吉トイフ人ニ伝ヘ給フ」とある。甚助重信ではない、もう一人の林崎、勘助勝吉が登場するが、実在したかどうか確認できる史料は見つかっていない。

    だが、この「林崎」について、居合新田宮流の藤田貞固が記した『和田流居合正誤』には「林崎甚助重信の外に林崎勘助勝吉と云う者有り。この人は柄刀(つかがたな)を用ゆ。世人その姓の同じをもって混雑するのは誤りなり」とあり、甚助重信と勘助勝吉を別人とみなしている。

    大日本居合道連盟の金子光彦事務局長は「歴史的な研究をしていないが、居合の始祖は林崎甚助重信というのが定説になっている」と話す。日本古武道の一つ、天真正伝香取神道流宗家の飯篠快貞(やすさだ)氏は「林崎流は、さまざまな武術を学ぶ中、よいものを取り入れ、いまのような形にしていったのだと思う」という。

    田中氏は「林崎甚助重信は、時代から見ても居合の中興の祖だったのではないか」と考えている。林崎甚助重信はどういう人物だったのか。謎は深まるばかりだ。

    林崎甚助重信】 戦国時代から江戸時代前期にかけての剣客、武道家で居合(抜刀術)の始祖とされる。現代居合道の母体のひとつである夢想神伝流は、多くの居合流派と同様に林崎甚助重信を流祖としている。生年は天文11(1542)年とも同17(1548)年ともされ、生国も奥羽とされるがはっきりしたことは不明。亡くなった後も剣術、武道に強い影響を与えている。

    記者の独り言】 400年以上の歴史をもつ居合道。その発祥の地が山形県村山市にあると知り、何度か熊野居合両神社を訪ねた。熊野明神と居合の神、林崎甚助重信の2神を祭る神社だった。居合道の史料はほとんど見つかっておらず、判明したのは林崎甚助から数代後の弟子らの伝承だった。歴史を探る上で必要なものは、やはり、その時代に生きた人、その時代を知る人が残したもの。取材は難しかった。(柏崎幸三)


    Recommend

    Biz Plus

    Recommend

    求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)

    求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)