真っ暗な列車で単身隣国へ…戦禍逃れた17歳が願う「日常」

    ロシア軍によるウクライナ侵攻の戦禍を逃れるため、他国への避難が後を絶たない。ウクライナ人の女子高生、アラ・レンスカさん(17)は侵攻後、親元を離れ、1人で隣国、ハンガリーで暮らす。民間人の死傷者が増える中、母国に残る両親らの安否に不安を覚えつつも、いつか母国に戻り、普通の暮らしに戻ることができる日を信じて「前向きに生きる」と気丈に振る舞う。(植木裕香子)

    アラさん(中央)は父親(右)と母親(左)と暮らした「普通の日々」が戻ることを願っている=ウクライナ(アラ・レンスカさん提供)
    アラさん(中央)は父親(右)と母親(左)と暮らした「普通の日々」が戻ることを願っている=ウクライナ(アラ・レンスカさん提供)

    軍事侵攻後の3月5日、アラさんはハンガリーの首都ブダペスト行きの列車に乗るため、洋服や教科書を詰め込んだ2つのリュックサックを持って両親とともに駅に向かった。戦況悪化に伴い、一人娘のアラさんだけでも安全な国外へ避難させたいという両親の決断だった。

    アラさんによると、避難所にもなっていた駅は国外に逃亡する人たちであふれていた。アラさんはすし詰め状態の車内に押し込まれ、別れ際に両親と会話したり、抱擁したりする余裕はなかった。「車内もロシア軍に察知されないようあかりをつけることを禁じられ、真っ暗な車内で1人、つらくて泣き続けた。あの日は一生忘れない」

    ロシア軍が軍事侵攻に踏み切るまでは、首都キーウ(キエフ)で祖母や両親と暮らしていた高校生のアラさん。通訳になるのが夢だ。軍事侵攻の2月24日は化学の授業で研究報告会が予定されていたため、前日は深夜まで準備に追われたが、当日、学校は休校に。研究報告会もなくなった。

    「自宅近くに爆弾が落ちて、ものすごく揺れたこともあった。足の悪い祖母は簡単には動けないから家族は避難できず、自宅で耐えるしかなかった。本当に怖かった」。アラさんは当時をこう振り返った。

    両親や祖母は大丈夫か。この先、自分はどうなるのか-。ブダペストに向かう真っ暗な車内で不安や恐怖に押しつぶされそうになりながらも、アラさんは「戦争があっても勉強を続けたい。助けてください」とハンガリーの高校に転校を嘆願するメールを打った。ウクライナで在学中、歴史や外国語文学などで表彰された実績もアピールした。

    熱意が通じて学校側も転校を即断し、現在はクラスメートの家族宅の一室を借りて通学。学校側が用意した心理学者らの診察も受けているという。

    転校から約1カ月。「いろいろな人に支えてもらっている。ハンガリー語を学ぶ機会に恵まれ、出会いも増えた」と感謝する。

    一方で、両親らが住むキーウ郊外で起きたロシア軍による民間人虐殺のニュースなどに触れ「明日はどうなるのか」と不安で涙がこぼれそうになる。そんなときは自室にこもるという。クラスメートの家族に迷惑をかけたくないからだ。

    それでも、自分の置かれた状況を前向きにとらえるよう心がけている。毎夜、ウクライナに残る両親らとの会話も、戦況よりも学校での出来事など明るい話題を伝えるようにしている。

    「常に前向きでいることが今の私の生きる力の源。自分が強くいることで他の人をより幸せにできるから」と話すアラさんは、こう力を込める。

    「いつかウクライナに戻って、友達や両親とたわいもないことで笑いあえる日々を取り戻せると信じている」。真っ暗な車内で泣き続けたつらい日。その先には、必ず平穏な日常が訪れる「出口」がある。強い気持ちがアラさんの前向きな心を支えている。


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