さらに言えば、米国は個々人に強さを求めます。「自分の問題は自分で打開せよ」と「自立」を求めます。ジェイダのように社会的地位のある人に対しては尚更。だからクリスに揶揄われたのはジェイダなのに夫であるウィル・スミスが本人に代わって仕返しをした、しかも暴力という手段で、という図式それ自体をむしろ「ダサい」と受け取る人すらいるのです。
憲法14条「法の下の平等」の難しさ
一方、日本は個々人に対して強さを求める空気はあまりありません。むしろ昨今の風潮は「強くなくたって、自然体で生きられる優しい社会」が求められているように思います。このあたり、日本が徐々に弱体化している一因にもなっているような気もするのですがそれは置いといて、とにかくそういった違いがあるのです。どちらが正解かなんて言えません。
これって国民性の違いですから。米国の場合、金持ちの白人が貧しい黒人に対して同じような揶揄い言葉を発したら、また違った反応だったのでしょうね。そう考えると、何が強者で何が弱者かっていうのもまた、客観的にはかることは困難なんだなぁと。
だとすると、憲法14条の法の下の平等っていう理念もまた、他の国の価値観も参考にしながら、そして日本のあるべき未来の姿も念頭に置きながら、慎重に検証していく必要があるんだなと、改めて感じた事件でした。