かくしてここでA氏の出番となるのだ。これまでB氏の対応に困り果てたメディアの人々を何人も知っているだけに、A氏はB氏の代わりに対応をするのである。ロングインタビューならさておき、200~400文字ほどの商品紹介文であれば、A氏でも対応は可能。編集者からの「もうそろそろ締め切りが来てしまいます!」という悲鳴に対し「はい、今見ますので」と電話をしながら原稿のチェックをし、さらに必要な写真も送信する。
一応B氏には「先ほどBさん宛てに〇〇(媒体名)から原稿チェックの問い合わせが来ていました。締め切りで焦っているみたいだったので、僕が代わりに答えておきました」と事後報告はしておく。B氏としては、面倒くさい仕事(本当はそこまで面倒ではないが…)をやらずに済んだため嬉しいと感じている。
こう感じてしまうことも無能の証なのだが、これが実はA氏にとっては良いことなのだという。
まず、ここでメディアの人からは「〇〇社のAさんという担当者は仕事ができる」という評価をされ、その評判がメディア内でまわり、メディアからの問い合わせでA氏が指名されることもあるのだという。A氏がその商品の担当ではない場合はB氏を含め、別の担当を紹介するが、「もしもウチの部員が捕まらないようでしたら私に電話いただいても構いません」と言い、ますます社外的な評価を上げることとなる。
そして、もっと重要なのが、A氏がB氏という無能先輩の尻拭いをいつもやっていることを部署の同僚や上司が把握していることだ。上司と2人で飲みに行く時などは「いつもBの分の仕事までやってくれてありがとうな」と言うのだという。近々A氏はB氏よりも上の役職に就くと目されているようだが、実は「無能な同僚」は自分の出世のためには必要なのである。
何しろ人事考査というものは相対評価の面もあるため、無能な同僚がいたらむしろラッキーだと思った方がいいかもしれない。