現実とは理念を映しだすもの 社会で通用する人が育つ「イタリアの教育」

    今まで述べた経験が、イタリアの教育思想そのものに基づくものであると確認したのは、最近、仲間との読書会でたまたま読んだファビオ・ランベッリ『イタリア的考え方ー日本人のためのイタリア入門』からである。

    (Getty Images)※画像はイメージです
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    実は20年近く前に読んでいた本だが、その時は「ああ、イタリアの教育、そうなのね」程度の認識しかなかった。実感をもって読めていなかった。

    ランベッリは次のように記す。

    イタリアは国家政策として、戦前・戦中まで、教育は批判力を生み出すから大衆への教育に躊躇した。他方、戦後は批判力を育むために大衆教育が重要との理念に転換した。

    よって、今日のイタリアの教育目的は、知識・情報の伝達よりも、それぞれの個々の考え方を伸ばすことになっている。

    また学校が子どもの生活すべてを支配することを避ける。自由時間が子どもの生活や学びにとって有効との考えがあるからだ。

    イタリアの労働法においても、労働者の「自由時間」の確保と尊重は優先される事項になっているが、小学校の時から「自由時間」の使い方を徹底して身に着けるのである。

    ぼくはイタリア礼賛のために本コラムを書いていない。イタリアの文化や社会を知らない親が、このシステムに子どもを預けようと決意するのはかなりストレスだ(イタリア人の親でさえ、そうだ)。学校運営上で不可解なことが多すぎるのだ。

    ぼくが言いたいのは、国家の教育理念と現実が驚くほど整合性のあることに今さらながらに驚いているとの事実である。国家レベルの理念とは非現実的であるとよく冷淡な扱いをうける。今、欧州委員会の理念が、同様な批判を受ける。でも、それは正当な見方ではない。

    現実とは理念を映しているものだ。その証がここにある。


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