「ルッキズム」という言葉がある。人を外見で区別や差別することを指す。他人の容姿が美しいかどうかと評すれば、それはルッキズムとして指摘される。いや、非難される。人の内面をみないといけない、と。
ファインアートは前世紀よりコンセプトが第一義になった。作品のコンセプトが新しいかどうか、アート史に貢献するかどうか、これらが大切である。美はアートの最優先項目ではなくなって久しい。

一方、デザインの世界ではサステナビリティが重要項目である。サービス全体の質が問われる。そのコンテクストで使われるモノの美しさはあまり顧みられない。「かっこいい」「素敵」との賞賛は、必ずしもモノそのものの美を語っているわけではない。
雄大な山や海の碧さに「美しい」と思わず叫んでしまうことはある。満天の星空に言葉を失うこともある。しかし、それらは人の手が作ったものではない。
人自身、あるいは人の手によるもの、これらに「美しい」と躊躇なく言える範囲が狭くなっているのである。
また、たとえ自然の景観であろうと、「絵葉書のように美しい」と感嘆すれば、見識に疑いがかかる。ステレオタイプは先入観の代表として叩かれる。
先週、ヴェネツィアに出かけた。ホモ・ファーベルというクラフトの祭典を見るためだ。サンマルコ広場の対岸、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島内の教会施設の内外で数々の工芸品の遭遇できる。
ここで思った。
「今、美しいと遠慮なく言えるのはクラフトの世界である」と。