• 日経平均26900.5829.31
  • ドル円135.33135.34

「優柔不断は悪よりも悪い」一歩を踏み出せない人へ、デカルトの背中を押す言葉

PRESIDENT Online

優柔不断で決断ができない。そんな悩みにデカルトなら何とアドバイスするだろうか。フランスで高校生が学ぶデカルトの哲学の基本を紹介しよう――。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/traveler1116)
※写真はイメージです(写真=iStock.com/traveler1116)

※本稿は、シャルル・ぺパン(著)永田千奈(翻訳)『フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者』(草思社)の一部を再編集したものです。

徹底して疑っていたデカルト

デカルトは思考の実験を極めた人である。急進的な思想家としてあらゆる事象を問題にし、疑い、確固たる新たな土台の上に知を再構成しようとした。現在「デカルト主義」と呼ばれている頭でっかちな合理主義とは程遠い人なのだ。

リンゴの入った籠がある。ほとんどが腐っている。腐ったリンゴを排除しようとするなら、少しでも傷があるものをすべて排除しておかないと、すべてを捨てることになりかねない。傷のついたリンゴを一つでも見逃せば、あっという間にすべてがだめになる。デカルトならば、すべてのリンゴを一つずつ点検し、無傷のものしか籠には戻さない。たとえリンゴが少なくなろうが、合格するリンゴが一つもなくても、手加減しない。

デカルトの特徴はこの徹底にある。確実な土台となるものを特定するには、疑ってかかることが必要だった。だが、疑うこと自体が彼の哲学の目的ではない。この点は、徹底して疑うことだけを考えていたピュロン〔紀元前三六五頃~前二七五頃。古代ギリシャの哲学者〕など、古代の懐疑論者たちとは一線を画す。もちろん、たとえ疑うことが真理を極める「手段」や「方法」にすぎないとしても、デカルトは徹底的に疑う。

世界は本当に存在しているのか

世界は本当に存在しているのだろうか。夢のなかでは、存在しない世界をリアルに感じる。ということは、今こうしていることも夢なのではないだろうか。この肉体は、目の前のコップは、本当に存在するのだろうか。触ることができれば、それが存在する証拠になるだろうか。砂漠で喉が渇いたとき、人間はオアシスの幻影を見るという。触れることができても、この目で見たことでも、それが真実だという証拠にはならないのではないだろうか。砂漠で幻を見る人と今の自分にどれだけの違いがあるだろう。つまり、感覚は信用できない。デカルトは蠟を例に「錯覚」を説明する。

封蠟(ふうろう)は硬くて冷たい(触覚)。うっすらとではあるがどちらかといえば良い匂いもする(嗅覚)。赤っぽい色(視覚)、食品ではないが、口に入れると不味いことがわかる(味覚)。だが、ここでデカルトは、この封蠟を火にくべ、感覚の「言う」ことなど頼りにならないことを示そうとする。火のなかに入れられた蠟を想像してほしい。すべてが変わる。さきほど五感で得た情報はもはや真理ではない。形状が変わる。蠟は熱くてやわらかい。もう触ることも難しい。匂いが変わる。色や形もさきほどとは違う。口に入れることもできない。では、蠟の本質とは何だったのか。

われ思う、ゆえにわれあり

真理を説明しようとすると、まず感覚がとらえたことはすべて排除しなければならない。必要なのは、思考、「《精神》による観察」である。何もかも疑ってなお残るのが思考であり、疑うという思考である。

となると、最も確実なものは、疑っている自分である。どんなにすべてを疑っても、自分は今、疑っているのだと考える自分がいる。それだけは確実だ。何もかも疑ったところで、疑っている自分だけは消えない。今、この存在が夢ではないのは、砂漠で渇きのあまり見えてくる幻影よりも現実味があるのは、考える自分があるからだ。

いや、砂漠で渇く人だって、確実なものが一つある。あのオアシスは幻影かもしれない。だが、彼が周囲のすべてを疑いはじめたとき、一つだけ確実に存在するのは、疑っている自分なのだ。デカルトの有名な言葉「われ思う、ゆえにわれあり」はこうして生まれた。

デカルトの徹底した合理性は、この「ゆえに」にある。というのも、多くの人は特に意識することなく、感覚を盲信しがちなのだ。

さらに言うと、この「ゆえに」が大事なのは、思考、そしてその先にある哲学というものが濃厚な実存体験であることを示しているからである。

いや、思考とは存在そのものだと言えるかもしれない。デカルトはキリスト教的な省察の長い伝統を引き継ぐと同時に、古代哲学における精神鍛錬の後継者でもある。省察にしろ、鍛錬にしろ、単なる神学的な思弁を超え、人が自分を鍛え、よりよく生きようとするトレーニングなのだ。デカルトは、現在「デカルト的」と言われているものとは少し違っており、ある意味ではのちの「実存主義」を先取りしている一面もある。

急進的な良識派・デカルト

デカルトの抱える矛盾は、彼の二冊の著書『省察』と『方法序説』の両極端な内容と、その対比によく表れている。まず、すべてを疑い、世界の存在さえ疑念を抱く、急進的な側面があり、もう片方には、現在「デカルト的」とされている慎重で、進歩的な良識ある側面もある。この二つの特性は混じり合うことも少なからずあるのだが、わかりやすくいうと、『省察』のほうが急進派で革命的なデカルト、『方法序説』のほうが慎重で、良識派、伝統を守るデカルトだ。デカルトにとって良識は「世の中で最も広く共有されているもの」であった。


Recommend

Biz Plus

Recommend

求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)

求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)