個人的には、ニュース解説で、もとになる経済記事が「日米の金利差で、米国の金利が日本よりも高いのでドルが買われ、円が売られて、その結果、円安ドル高になる」と書いてあるのを、金利差ではなく「日米の金融政策のスタンスの違い」と言い直している。
この日米の金融政策のスタンスの違いは、まだ金利差や経常収支に注目する手法よりは使える。例えば、有名なものとしてはソロスチャートがある。これは世界的に著名な投資家だったジョージ・ソロス氏の名前をとっている、日米のマネタリーベースの比率と現実の為替レートの推移を相関してみるものだ。
マネタリーベースは日米の中央銀行が実際にコントロールしている貨幣の量だ。この政策的に操作している貨幣の量の動向はまさに「金融政策のスタンス」として理解できる。以下の図は、日米マネタリーベース比率と為替レートの推移をみたものだ。
日米マネタリーベース比率が増加すれば(≒米国を一定とすれば日本の貨幣増加)、円安が加速し、他方で比率が減少すれば(≒米国を一定とすれば日本の貨幣減少)、円高が進行している。両者の相関係数は0.64で高いものだ。
ただしこのソロスチャートも無敵ではない。特に日米の中央銀行の政策スタンスが変更されたときには、ソロスチャートでは十分にカバーできない。何人かのエコノミストたちも同様の指摘をしている。今回のように連邦準備制度理事会(FRB)が金融引き締めスタンスに転換した前後では、ソロスチャートは単純には使うことはできない。修正ソロスチャートが提起されているが、これからの研究のフロンティアである。
短期的な為替レートの予測が難しくても、為替レートに主眼を置いた金融政策の「百害あって一利なし」は明瞭にわかる。特に日本のバブル発生から長期停滞はその重要なエピソードだ。
1985年のプラザ合意直後から、日本は円高傾向が顕著になった。当時の米国は貿易赤字問題をドル安で解消できると信じていた。そのため各国に政治的圧力により協調的なドル安各国通貨高政策をとるように促した。
日本はその米国の力にもっとも従順に従い、金融政策を対ドルの為替レートに割り当ててしまった。要するに当時の「悪い円安」はアメリカの影で実行された。その結果は、日本経済、要するに国民の生活を顧みない金融政策となって現れる。80年代後半はバブル経済が引き起こされ、また90年代はバブル崩壊と長期停滞の始まりである。この為替レートを政策目的にした日本銀行の政策を「円高シンドローム」と名付けられている(『ドルと円』ロナルド・マッキノン 、大野健一)。
米国の貿易赤字の対象国が、日本から中国に移行した21世紀になってからもこの円高シンドロームは続いた。下図をみれば明らかに、購買力平価(長期的な為替レート水準=日米の物価水準の比率)を天井にして、実際の為替レートがいかにも巧妙にコントロールされているかのようだ。日銀は決して認めなかったが、ドル円レートが日銀の政策目標にどかんと居座っていたことがわかる(詳細は『平成大停滞と昭和恐慌』安達誠司、田中秀臣)。
90年代以降から2012年までの円高シンドロームは、日本の長期停滞の時期である。デフレは深化し、雇用は悪化、日本の現実と潜在的な成長率は大きく奪われた。いわゆる「失われた20年(プラスアルファ)」といわれる状況は、円高シンドロームと完全に重なる。その主因は、日本銀行が為替レートを政策目的に入れていたからだ。
アベノミクス以降は、この円高シンドロームは終わった。雇用や成長率がそれ以前よりも大きく改善したのは自明だ。いまの日本のマスコミや一部の識者たちは、「悪い円安」を主張することで、また日本銀行に国内経済を無視した、為替レートありきの政策に戻せ、といっているに等しい。
先のフィナンシャル・タイムズでも指摘されていて、また高橋教授と私の対談でも、岸田政権が日銀に金融引き締め=円安退治を促すリスクに特に注目した。
特に参院選前から来年の日銀の正副総裁人事が大きなポイントになる。ここで政治が間違え、日銀が悪しき政策転換をすれば、日本はまた長期停滞に陥るだろう。