• 日経平均26863.33-138.19
  • ドル円127.77127.78

日本最古のジャズ喫茶 約90年の歴史にいったん幕

現存する日本最古のジャズ喫茶として知られた「ちぐさ」(横浜市中区)が4月、約90年の歴史にいったん幕を下ろした。老朽化した建物を建て替え、来年に博物館とライブハウスが融合した「ジャズミュージアム・ちぐさ」に生まれ変わる。戦後の日本ジャズの礎を築いたジャズミュージシャンを育てたちぐさは、時代に沿って形を変えながらも、才能ある若者らの感性を磨き、横浜のジャズ文化を伝え続ける。

ちぐさの閉店前日の夜、ライブを一目見ようと店の外まで大勢の人であふれた=4月9日、横浜市
ちぐさの閉店前日の夜、ライブを一目見ようと店の外まで大勢の人であふれた=4月9日、横浜市

横浜・野毛の新旧が混在した歓楽街にたたずんできたちぐさ。レンガ壁の建物の扉を開くと、コーヒーの香りとともに、心地よく響くジャズの音色が身を包む。店内には、3千枚を超えるレコードが壁一面に飾られ、革張りの茶色のソファやタイルをはめ込んだテーブルなどの調度品が重厚な雰囲気を醸す。そんな場所だった。

名物の大型スピーカーは、1970年代にビクター社の技術者らが製作した特注品。その場に演奏者がいるような臨場感を味わわせてくれ、国内外のジャズファンに愛されてきた。

有志らに支えられ

「おやじ」と慕われた吉田衛さん(故人)が店を開店したのは昭和8年。戦時中は敵性音楽としてレコードが強制供出され、店も横浜大空襲で焼失。終戦を迎えると、横浜は進駐軍の米兵らによってジャズの最新情報の発信地となった。

吉田さんはもう一度店を開こうと、米兵らに慰問用で配布されていたレコード「Vディスク」を、必死に収集。戦前の常連客も焼け残った貴重なレコードを持ち寄り、店は23年に再建。多くの人がジャズを求めて店に集まった。

その中には、若かりし頃の渡辺貞夫さんや日野皓正さんら世界的プレーヤーの姿も。横浜の米軍クラブで演奏するかたわら、1杯10円のコーヒーを飲み、最新の音色を吸収しようと通い詰めたという。店は学びの場としての役割も担い、吉田さんはその生涯をジャズの普及と若いミュージシャンの育成にささげた。

吉田さんの死後、平成19年に閉店したが、その遺志を継いだ有志らが力を合わせ、24年にもとの場所から200メートルほど離れた現在の場所で店を再建。再開から10年の節目で建て替えが決定した。

まちの歴史を残し

ジャズミュージアムとなる新店舗は地上2階建て。外観は全面ガラス張りで、2階まで吹き抜けの設計だ。ピアノなどを置いたライブ会場を設け、路上からも演奏を眺められるストリートライブのような場とする。

下層階には、吉田さんが再建した旧店舗を再現した喫茶コーナーを設ける。写真や貴重なレコードを展示し、リクエストに応じてレコードを流す形態も続ける。古き良き時代の音源に触れながら、横浜とジャズの歩みに思いをはせてもらう。来年3月に完成予定。

代表理事、藤沢智晴さん(75)は「ちぐさはまちの歴史を考えても欠かせない場所で、店を残し続ける意義がある」とする。一方、外観を刷新することにスタッフや常連客からは反対意見も出たという。

「最初は時間が培った空気感を残したいとの意見もあったが、メンバーの高齢化もあり、どうしてもいまのうちに手を打っておく必要があった。それを丹念に説明して徐々に理解が広まっていった」と藤沢さん。加えて、「ちぐさの使命の一つである若者の育成を考えたとき、いまはレコードに教材の役割はなく、必要なのは演奏の場。新しい音楽空間を提供したい」と藤沢さんは力を込める。

建て替え中は仮店舗として、みなとみらいの多目的スペース「クロス・パティオ」のグリーンスポットで1日から営業している。

最終日は開店前から列

閉店が公表されて以降、連日、全国から多くの人が駆け付け、惜しむ声が相次いだ。最終日となった4月10日は、開店前から列ができ、訪れたファンは店内や外観を撮影して余韻に浸った。

最後に流すレコードとして、かつて吉田さんが1日の始まりに必ずかけていた米ジャズピアノ奏者兼作曲家のビル・エバンスのアルバム「ワルツ・フォー・デビイ」を選曲。藤沢さんは「おやじの大事な曲でエンディングを締めくくり、また来年もこの曲で新しい始まりを迎えたい」としたうえで、「横浜とジャズの歴史とともに引き継ぎ、文化財としてジャズを位置づけられたら」と期待を膨らませていた。


Recommend

Biz Plus

Recommend

求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)

求人情報サイト Biz x Job(ビズジョブ)