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人を誘う阪急マジック どう変わる「村」改修  鹿間孝一

昭和44年(1969年)に開業した阪急三番街は「川が流れる街」がキャッチフレーズだった。地下2階のショッピングモールを、長さ約90メートル、幅2・8メートルの人工の川が流れ、途中に噴水があったり、小さな段差を滝のように落ちて、地中に吸い込まれていく。

アイデアが盛りだくさんだった阪急三番街=大阪市北区(永田直也撮影)
アイデアが盛りだくさんだった阪急三番街=大阪市北区(永田直也撮影)

実は流れていないのだ。水が流れるには勾配が必要だが、掘った地下の地面は水平である。トリックは3カ所の橋にあった。川はここで分断され、それぞれで水を循環させている。いうなれば、浅いプールを並べたようなものだった。

計画は8年前にさかのぼる。当時、阪急梅田駅は阪急百貨店の東側に隣接していたが、利用客の急増で改造を迫られた。しかし、増設する土地がない。目を付けたのが、国鉄(現JR)の高架線の北側だった。

これなら阪急の線路に沿ってバックさせるだけで、新たな用地買収はそう必要ない。さらに、あふれんばかりの乗降客が利用するのだから、周辺を商業地域として再開発してはどうか。大阪駅の北側はまだバラックが雑然と立ち並んで戦後の雰囲気を残し、南側に比べて地価は格段に安かった。

こうした一石二鳥の発想は、阪急グループの総帥だった小林一三(いちぞう)のDNAといえよう。小林は阪急電鉄の前身の箕面有馬電気軌道を創設するにあたって、あらかじめ沿線の土地を買い占め、宅地分譲して経営を安定させるとともに電車の乗客も増やした。

「川が流れる街」は新しい駅の地下へと人を誘(いざな)う仕掛けだった。駅が遠くなったことを感じさせないため、国鉄のガード下に動く歩道を設けた。弱点や不便は斬新なアイデアで補う。〝阪急マジック〟である。そして、ホテルや劇場、若者向けのショッピングビルなどが次々に建てられ、一帯は「阪急村」と呼ばれるようになった。

この原稿は40年前の連載「都市を建てる」を引っ張り出して書いている。その中で建築史家の村松貞次郎東大名誉教授は、阪急の開発手法をこう評価した。

「オツにすました東京型文化人からすると、えげつないほどの抜け目のなさ、ということになろうが、成功の秘密は時代とともに動いてきた見通しのよさと、決断のすばらしさにある」

阪急三番街の全面改修をはじめ、大阪新阪急ホテル、阪急ターミナルビルの建て替えが発表された。隣接するJR大阪駅を中心に梅田地区を回遊する空中デッキを整備する構想という。今度はどんなマジックを見せてくれるか楽しみだ。

しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースでは「浪速風」)を執筆した。


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