「異文化理解」の重要度が増している。それも「極めて」と表現するにふさわしい。どこの領域でも重要だが、ビジネス分野をみてみよう。
かつて言語学系の人が異文化理解をよく語った。マナーを知らないと相手にいかに失礼になるか、いかに自分も損を蒙るか。そう強調された。今もこれを専門とする人はいる。また、サービス業に携わってきた人も、このタイプの話をする。
しかし、最近、さほど目にしなくなった気がする。そういう人がいなくなったのではない。異文化理解に関わる問題が多岐に渡り、かつ多様な異文化接触が頻繁に生じるため、静的に文化を捉えたマナーが陰に隠れてしまっているのだろう。異文化接触が一部の人の経験ではなくなったのである。
人間工学的な側面から異文化理解に注意をする人もいる。身体のサイズに合わせ、椅子などの寸法を調整していかないといけない。あまりに当たり前なのだが、皆が皆、この問題を意識しているわけでもない。
電子機器のユーザーインターフェースも異文化理解の対象になる。文化圏によってカーナビにおける地図の読み方の違いがあるのも、その一つである。
日本の人は鳥瞰的に地理を把握する訓練を学校教育で受けている。現在地から目的地まで地図を描かせても、一枚の紙におさまる。
しかし、ヨーロッパの人は道順で覚える。「この道を300メートル行ったら、銅像のあるロータリーがある。そこを右に曲がり、500メートル行く」を紙の上に再現しようとする。一枚の紙では足りなくなる。したがって地理情報の提供の仕方も変える必要が「あった」。
なぜ、「あった」と過去形を使うかといえば、グーグルマップのようなアプリの普及により、地図の読み方に文化差が徐々に少なくなってきたからだ。だが同じとは言えない。
「同じと言えない」部分が何なのか?を知っていることが望ましい。