「野球少年の夢」育む球団経営に道
スポーツbizプロ野球・日本ハムの大谷翔平選手が、正式に、このオフの米大リーグ挑戦を語った。
背番号11にちなんだ11月11日午前11時、東京・内幸町の日本記者クラブ。「野球をやっている以上は、プレーしている中で一番の選手になりたい」との決意に、改めて拍手を送った野球ファンも少なくないだろう。
“元手”回収はまだ
球団側からみれば、正直に言えば“元手”を取り返してはいない。入団5年で伸び盛りの23歳。今季5位に低迷、来季に再浮上をかけるチームに戦力面での痛手は計りしれない。しかも「投打二刀流」という売り物を引っ提げた人気の主力選手退場は、観客動員という球団経営の根本を揺るがしかねない。
今週中にも改定案が示される新ポスティング制度で、球団に入る譲渡金の上限2000万ドル(約23億円)に変化はない。球団側が移籍に理解を示しやすい理由ではあるが、それにしても大きな決断だといっていい。
大谷の会見に先立つ10日、日本ハムの竹田憲宗球団社長は容認の理由をこう述べた。「ファイターズだけではなく、日本の宝として、夢の実現に背中を押してあげるのが球団の方針」
「方針」は2012年秋、岩手・花巻東高からドラフト1位で指名、入団が決まったときに定まった。高校から直接、大リーグ挑戦を熱望する大谷に、球団が提示したのは「投打二刀流の支援」と「近い将来の大リーグ挑戦後押し」であった。
「あの日」から「この日」に向けて、まさに球団をあげたプロジェクトである。「二刀流」への批判には心ない言われ方も少なからずあったと聞く。
それでも一切ぶれなかったのは、それが球団の方針だったからにほかならない。栗山英樹監督の言葉が証明する。「球団全員が彼の力を信じていた」
さらに日本ハムは、大谷の次なる「一番の選手」という夢の実現の支援として、所属チームに対し、起用法やコンディショニングなどのデータ提供も辞さないという。また、通訳やトレーナーを球団として派遣、今後も球団施設の使用を容認し支えていく「方針」は続く。
背景に球団の大リーグへの深い理解がある。すでにダルビッシュ有、岡島秀樹といった大リーグで成功した日本ハム出身選手の先例がある。そして何よりも、吉村浩ゼネラルマネジャー(GM)の存在が大きい。
吉村GMは元スポーツ新聞の野球記者である。若くして退社し、大リーグを視察。パ・リーグ事務局在籍後に再渡米、デトロイト・タイガースで大リーグ経営を学んだ。帰国後、阪神のフロントを経て、2005年に日本ハムGM補佐就任、現在は3代目GMを務める。
その吉村GMの下、打ち出されたのが「スカウティング」と「育成」という強化の柱。そして、彼の考案になる「ベースボール・オペレーション・システム(BOS)」と呼ぶデータベースが近年の積極的なドラフト戦略、選手育成の基礎となっている。大谷はまさに、その申し子といえよう。
高校球界に実績流布
「すごくいいチーム。(指名されて)本当にうれしく思っています」。今年のドラフトで7球団が1位指名、日本ハムが引き当てた高校球界屈指のスラッガー、早実の清宮幸太郎選手は指名後の印象をそう話した。
清宮はドラフト前、家族とともに10球団のスカウトらと面談し、育成方針を聞いた。ところが、そこに日本ハムの姿はなかった。面談をしていないにもかかわらず、なぜ「すごくいい」と印象を語ったのか。
すでに日本ハム球団の方針、その育成実績は高校球界に流布していると考えられる。しかも大谷という手本が目の前にある。同様に、大リーグへの夢を抱く清宮が動向を熟視していたとしても不思議ではない。
笹川スポーツ財団の『青少年のスポーツライフ・データ2015』は野球界に厳しい現状を伝える。10代の子供たちが過去1年間によく行ったスポーツで野球は初めて3位に落ちた。サッカーに続き、ついにバスケットボールにも抜かれた。スポーツの選択肢の増加、ルールの難解さ、費用がかかりすぎることなども影響しているだろう。野球ができる環境も減ってきた。
それでも「夢みる」野球少年は少なくない。プロ野球は大谷の日本ハムのように、多様な少年の夢をかなえる場でありたい。野球を救う道でもある。(産経新聞特別記者 佐野慎輔)
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