【高論卓説】「ネットで全文公開」に注目 出版界の新潮流 「紙」販売にも効果

 

 本を売るためには、本を全く読まない無読者層にどのように訴えるかが重要だ。本を読まない人もウェブメディアのテキストは読んでいるのだとすれば、全文を無料公開すればどうなるか。

 そんな考えのもと、一部だけでなく、新刊書籍の本文を「全文公開」してしまうプロジェクトが注目を集めている。今年1月、まだまだ市販で売れている最中に、お笑いコンビ、キングコングのツッコミ担当、西野亮廣さんの絵本『えんとつ町のプペル』を全文公開したことがその端緒。「発売元である幻冬舎や(絵本作家としても活躍する)西野氏が所属する吉本興業の上層部に確認すると反対される恐れもあることから、現場関係者による判断で決行した」(『編集会議』2017年秋冬号より)という。

 確かに、無料公開をしてしまえば、誰も絵本を買わなくなってしまうのではないか、あるいは既に買った人が怒り出すのではないか、という心配はもっともだ。ところが、この全公開プロジェクトはネット上で話題になると同時に、絵本の販売にも拍車が掛かった。著者にとっても出版社にとっても、「多くの人に読んでもらうと同時に、紙の本もこれまでより売れる」のであればこんなにいいことはない。『えんとつ町のプペル』の成功をみて、発売前の小説を全文無料公開するなど、新しいムーブメントを起こすことにもなった。

 そしてそのムーブメントは、ビジネス書にも及んだ。貧富の格差がそのまま健康の格差につながることを特集したNHKスペシャルを新書化した新書『健康格差』(講談社)が発売されたのは今月15日。その新書の内容が同27日(第1章)から12月2日(第6章)まで、6つのビジネス系メディア(日経ビジネスオンライン、ダイヤモンド・オンライン、プレジデントオンライン、東洋経済オンライン、ビジネス・インサイダー、ハフポスト)で順次、全文公開をしていくのだ。発売前に「はじめに」を公開した現代ビジネスも含め、7媒体横断のプロジェクトとなる。

 執筆を担当したNHK放送総局大型企画開発センターディレクターの神原一光さんは「健康格差について、これまで研究してこられた教授や専門家、現場の方たちの功績を、今の時代らしい形で世にもっと知ってもらいたい」と思い、このプロジェクトを思いついたという。実現に向け、担当編集者と調整する中で、一つのメディアで公開するのではなく複数のメディアで公開してはという案にたどり着く。

 「健康格差という問題をウェブメディアのみなさんと垣根を越えて共有し、結果としてインパクトが出せれば、ウェブメディア全体の価値も一層高まる機会になるのかもしれないと思った」と神原さんは熱い思いを語る。

 版元の講談社にとっては、どうなのだろうか。「著者であるNHKさんが強力に推進しようとしているものなので、断る理由はない。よしやろう、ということになった」(編集を担当した第一事業局学芸部の小林雅宏さん)

 このプロジェクトが画期的なのは、「全文公開」だけではない。ライバル関係にある複数メディアが、足並みをそろえて1つのプロジェクトを実施するのは、初めてなのだ。むろん、今後とも独自コンテンツを競い合うライバル関係は変わらない。しかし、硬直的にならず、ときに柔軟な提携もできれば、本当にすてきなことだと思う。

【プロフィル】山田俊浩

 やまだ・としひろ 早大政経卒。東洋経済新報社に入り1995年から記者。週刊東洋経済の編集者、IT・ネット関連の記者を経て2013年10月からニュース編集長。14年7月から東洋経済オンライン編集長。著書に『孫正義の将来』(東洋経済新報社)。