【職人のこころ】工匠の祖、聖徳太子の祭り 民俗情報工学研究家・井戸理恵子

 

 日本のしきたりといえば、本来旧暦に従うべきであるが、明治以降新しい暦が導入され、伝統は変化を余儀なくさせられた。昨今旧暦に従って伝統を見直そうとする動きがさまざまな分野において行われるようになった。「日本」を見直すにはよい風潮だ。

 しかしながら、実際にひもといてみると「旧暦」という物差しもその輪郭が定かではない。地域の風土、生業によって、「太陽暦」を基準にするところ、「太陰暦」を基準に考えたりしているところがあり、「旧暦」と一言では片付けられない「古い暦」がそこに横たわる。

 特に「正月」辺りは考え方の差異が大きい。冬至、正月、小正月、旧正月、2月4日の立春、事始め、などと新たな「年明け」を祝うのにその物差しをどこに置くかということが見えにくい。

 さて、そうした年始めに産土(うぶすな)の土を祭り、風土を寿(ことほ)ぎ、技能やネットワークの繋(つな)がりの深さを確認する職人の祭りがある。太子講による聖徳太子の祭り。太子講とは日本で初めて法隆寺や四天王寺を始めとした寺の建立をした太子を起源とする。

 太子は工人の才能や技能を世に認めた。よって、大工を始めとした職人が生まれる。いわば工匠の祖、その恩恵に感謝する祭り。大工、左官、木地師、瓦、屋根葺、鍛冶屋を中心とし建築業全体で祭る地域もある。

 かつてはムクノキの生える山奥でひっそりと祭られるところが多かったが、最近は至るところでみられるようになった。山奥の太子信仰は弘法大師が太子同様「タイシ」と発音されるところから、「大師」信仰と重なる。奇跡を伴って山人たちを救った「タイシ」は同一視された。工匠は自らの神と弘法大師を区別し、その技術をもって、仏像のように形にした。仏教で祭られる太子は香炉や尺をもつ。太子講で祭られる太子は鬟(みずら)の童子姿で墨壺や曲尺(かねじゃく)など大工道具をもっている。こうした太子像は大工の神、「彦狭知命(ひこさしりのみこと)(設計、監督など棟梁(とうりょう)のような役割をもった神)」「手置帆負命(たおきほおいのみこと)(工匠としての神)」を包括している。また道具への畏敬も表している。

 太子の祭りは太子の忌日であるとされる2月22日、あるいはその前日。「2月」の捉え方で今や正月21日、22日、旧暦2月22日、あるいは3月22日など1月から4月くらいまで至るところで太子講の祭りをみかけるようになった。

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【プロフィル】井戸理恵子

 いど・りえこ 民俗情報工学研究家。1964年北海道生まれ。國學院大卒。多摩美術大非常勤講師。ニッポン放送『魔法のラジオ』企画・監修ほか、永平寺機関紙『傘松』連載中。15年以上にわたり、職人と古い技術を訪ねて歩く「職人出逢い旅」を実施中。