【スポーツi.】障害者の競技大会、「手作り」は美徳か 東京パラ以降に生かせる「力」を
□フリーランスプランナー・今昌司
ある障害者スポーツの競技団体が、2020年東京パラリンピックに向けての取り組みの一環として、昨年から国際大会を開催している。私も運営者の末席にいる立場で関わりを持たせていただいているのだが、大会に向けての準備会議の席上、最近ある言葉が頻繁に出てくる。「“手作り”イベントだから…」。国際大会とはいえども、障害者スポーツは、一般的にまだ大会運営能力レベルが決して高くはない。しかし、問題は、20年はもちろんのこと、21年以降の障害者スポーツ界の発展に向けての足掛かりを作ることである。今は、20年のためだけにあるのではなく、21年以降に生かせる「力」を身に付けるためにこそある。
真意を理解せず
日本オリンピック委員会(JOC)は、権利を有しない組織、団体、企業に対して、所属選手の壮行会をPR目的で一般やメディアに公開することを規制してきた。しかし、「オリンピックを盛り上げようとしているのに規制は盛り上げの機運をそぐ」と改善を求める声が巻き起こった。そこで、JOCは大学などの公的組織や法人に限り、規制の一部を緩和することを検討すると発表した。
盛り上げようとしているのに、そこまでスポンサーに気を遣わなければならないのか。そう言うのは、スポーツの価値がお金に還元されて、そのお金によって、さらにスポーツの価値を高めようとする現代のスポーツビジネスの真意をまるで理解していない人であろう。論点は若干異なるものの、先に述べた「手作りイベントだから」という感覚も似て非なるものであるように思う。つまり、手作りイベントが「お金もないし、専門的なノウハウもないのだから、みんなで力を合わせてやりましょう」と現実のみに終始し、その先に目指すべき発展に対して、自ら盲目になろうとしているだけなのではないか。
具体的にはこんな話も聞く。「国際大会の運営にたけている大手広告代理店に任せても、お金ばかり取られるだけ」。この言葉は、自らの「力」の無さを肯定しているにすぎない。必要なことは、今こそ組織や団体の「スポーツ側」が、スポーツの発展に寄与し得る「力」を身に付けなければならない、という強い意志を持つべきだということではないだろうか。
先月行われた車いすバスケットボールの国際大会は、新設された武蔵野の森総合スポーツプラザ(東京都調布市)のメインアリーナで、決して少なくない観客を集めて行われた。しかも、障害者スポーツとしては異例で、アリーナ席は有料席として販売された。日本代表チームが世界の競合と渡り合える力が、障害者スポーツに「見る」スポーツとしての価値を生み出したのかもしれない。今は大きな成果ではなくても、21年以降の発展に向けての糧となったことは間違いないだろう。会場では、子供たちを対象とした付帯イベントが開催されたり、整理誘導に専門スタッフを起用したりするなど、観客の満足度を少しでも向上させようとする取り組みが随所に見られた。
発展への意志事業化
手作りイベント。いかにも日本らしい響きの言葉である。しかし、手作りでは未来は築けない。障害者スポーツはもちろんのこと、健常者のスポーツとて、そのことに違いはない。スポーツの価値を高めるとは、スポーツの中にだけある価値観を守り通すことではない。「スポーツ側」がそうだと思い込んでいる価値観のみを捉えることではない。
多様で多くの人々を巻き込んで、発展していくための意志を強く持ち、その意志を具体的に事業化していくことである。その先には、健常者のスポーツとは異なる戦略基盤で、「稼ぐ」ということに真正面から向き合っていく局面も生まれてくるに違いない。
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【プロフィル】今昌司
こん・まさし 専修大法卒。広告会社各社で営業やスポーツ事業を担当。伊藤忠商事、ナイキジャパンを経て、2002年からフリーランスで国際スポーツ大会の運営計画設計、運営実務のほか、スポーツマーケティング企画業に従事。16年から亜細亜大経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師も務める。
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