リーマン元社員「また起こり得る」 会社になお愛着、借り手に同情も
私物入りの段ボール箱を抱え、ニューヨーク中心部の本社を後にする従業員-。米証券大手リーマン・ブラザーズが経営破綻した2008年9月15日以降、テレビで繰り返し放送された場面だ。失望の一方で会社への愛着は持ち続け、自宅を失ったサブプライム住宅ローン借り手に同情も。「リーマン・ショック」は今も元社員にさまざまな感情を思い起こさせる。
三振
「すぐ出社してくれ」。不動産部門で総務責任者をしていたリン・グレイさん(69)は破綻前日の日曜日の朝、上司から呼び出された。「君のパソコンに保存された資料の一部を至急印刷してほしい」と指示された。2社と身売り交渉をしており、買い手が決まったときに使うと説明された。
午後3時。上司から突然「作業を止めていい」と言われた。交渉は全て打ち切られたという。
帰宅後、深夜のテレビニュースで本当に破綻したことを知った。翌朝本社に向かったが、立ち寄ったコーヒー店で列に並んでいたとき、不意に涙がこぼれた。11年以上、破綻の原因とされた不動産部門で働いた。「女性、高齢、不動産-。これで三振よ」。職を失った。
血の色も緑
金融商品の組成を担当していた日本人のへリック美紀さん(48)は14日夜、リーマンが身売り交渉していないと聞いたが、朝までに交渉相手が現れるか、政府が支援すると思っていた。英国人の夫が働く米金融大手も経営危機に陥り「夫婦とも失業しかねない」と焦りを募らせた。
リーマンの主要事業と本社は英金融大手バークレイズが買い取った。カーペットはリーマンの企業カラーだった緑からバークレイズの青に変わった。リーマンは結束の強さから「血の色も緑」と評されていただけに、ショックだった。
バークレイズの名刺は作らず、半年で別の金融機関に転職した。「青くなったビルを見るのはつらい。今も近づかないようにしている」
グレイさんは現在、企業の新卒採用を支援する会社を設立し、へリックさんは教育関連の会社を経営する。
リーマンの元社員は定期的に集まっており、金融危機当時の話題になると「私たちも苦しんだけれど、ウォール街と関係のない人たちも苦しんだ」(へリックさん)という気持ちを共有する。
「100年に一度」ともいわれた危機だが、グレイさんは「また起こり得る」とみる。
1987年のニューヨーク市場の株価暴落「ブラックマンデー(暗黒の月曜日)」、97年のアジア通貨危機、そしてリーマン・ショック-。「10年ごとに下降局面があった。今はそれから10年になるのだから」(ニューヨーク 共同)
■【リーマン危機10年(1)】格差続く日本経済 幸福とは、変化した価値観 を読む
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