【経済インサイド】経営者の創業ストーリーを舞台化、企業の広報宣伝に新手法

 
舞台装置を使わずにオフィスで働くようすを表現する劇団SPINNINRONINの公演=東京都千代田区

 テレビCMやキャンペーン、プロスポーツの冠スポンサーといった、認知度を高めるための広報宣伝活動に各企業が知恵を絞っている。新興企業の若い経営者の場合、自らメディアに出演して派手な話題を振りまくこともある。こうした多様な企業広報のひとつに、プロの劇団が創業ストーリーを舞台化して再現する新たな手法が加わった。

 「創業X」は、起業家の創業から現在に至るストーリーを舞台で表現している。第1弾として、昨年12月に東証マザーズ市場に新規上場した、学校やスポーツ団体・グループの連絡網サービスを提供するイオレの吉田直人社長の半生を「ガンと破産、そして復活。オーレ!でつなぐ670万人の連絡網~」として上演した。

 吉田社長は、広告・PR、人材派遣、ゲームソフト制作など複数の企業を立ち上げた連続起業家。しかし32歳のときに喉頭がんを煩う。死を覚悟してゲーム開発のため多大な借り入れとオーバーワークを重ね、命を削るようにしてようやく完成させる。ゲームはヒットし、治療によって病気も克服したが、平成9年の金融危機で銀行から“貸しはがし”に遭い、会社は倒産し自己破産に追い込まれてしまう。無念を酒で紛らわせた時期もあったが、以前の従業員や弁護士、債権者など、周囲の支えを受けながら不屈の精神力と精進で再起する。

 企画したのは、官民連携の「熱中症予防声かけプロジェクト」、丼で地域経済活性化を試みる「全国丼連盟」などをプロデュースしたムーブメントプロデューサーの波房克典さん。テレビドラマ「下町ロケット」がヒットしたことから、「創業者の起業にかける覚悟と信念、地をはう努力をライブにすれば、興味深く分かりやすく、顧客や従業員のほか、社会に広く伝えられる魅力的な企業広報になるのではないか」と舞台化を思いつく。すぐに友人の吉田社長に話を持ちかけた。吉田社長は「自伝も出版していないので『えーっ、僕でいいの』と思ったが、大変光栄なので『いいよ』と応えた」と振り返る。

 舞台化したのは劇団「SPINNIN RONIN(スピニンローニン)」。舞台上で大道具・小道具といった舞台装置を極力使わずに大胆なアクションやダンスで表現し、主に30~50代の働く人を中心とした層から支持されている。波房さんが以前から同劇団のファンであったことから企画を持ちかけた。同劇団を運営するKEコーポレーションの榎本鉄平代表は、魅力を感じ「おもしろそうだからやろう」と引き受けた。同時に経営上のメリットにも目を向けた。劇団経営は基本的にチケット販売が売り上げのほとんどを占め、作品の観客動員によって売り上げが激しく上下する。しかし企業を相手にすれば広報宣伝費として見積もりに対して決まった額が支払われ、観客の動員やチケットの買い取りなども期待できるので、売り上げの目途が立ちやすい。榎本代表は「劇団経営安定化のため、新しいビジネスモデルとして確立させる」と新規事業と捉えて取り組んだ。

 9月7日に東京・半蔵門のTOKYO FMホールで、午後2時と午後7時の2回、各2時間の公演が行われ満員の計331人を集客した。普段は女性が目立つ客席だが、男性が7割ほどを占めて新しい客層が開拓された。

 見終わった人からは「社長とはいえ著名人ではなく、一般の人の半生を舞台にしておもしろいのか半信半疑だったが感動した」(30代会社員男性)、「会社の成り立ちやビジョンがすんなりと分かり、新しい広報の手法を学ぶことができた」(30代自営業女性)、「社員や取引先などに対し効果的な広報の方法だと思った」(40代会社員女性)といった感想が聞かれ、会社の認知度向上のための広報宣伝として大成功した。

 当日、初めて完成版の舞台を見た吉田社長は「楽しい記憶より苦しく辛いことばかりが思い出された」と振り返り、「先輩経営者は『自分はこれからどう生きていくか、真剣に向き合わなければいけませんね』と経営者目線で心を揺さぶられたようだ。従業員は『いろいろなことを乗り越えて今があるんですね』と感激していた。『1日だけの公演はもったいない。再演してもらいたい』との声も多く驚いている」と満足そうに話した。

 榎本代表は「企業に営業をかけて創業Xをシリーズ化したい。例えばその会社の売り場といった、現場での公演も臨場感があっていいかもしれない」と次の舞台に思いをはせる。波房さんは「舞台での広報宣伝は競合がなく、一度きりのライブなので希少価値もある。これからも伸び盛りのベンチャー経営者の魅力を発信していきたい」と話している。(佐竹一秀)