「値上げはしない」 苦境の吉野家が挑む“初めてのマーケティング”

 
逆風の吹く吉野家。黒色が印象的な新型店舗を打ち出す(名古屋市の吉野家栄生店、同社提供)

 吉野家ホールディングス(HD)に逆風が吹いている。昨年10月に発表した2018年3~8月期の最終損益は8億5000万円の赤字。今年2月期の最終損益も11億円の赤字になる見込みで、6期ぶりの赤字転落となる。傘下で「ステーキのどん」などを展開するアークミールの不調が響いた。

 頼みの綱である牛丼チェーンの吉野家は既存店売上高が好調に推移して前年同期比4.7%の増収となったが、営業利益は36.8%減に落ち込んだ。米国産牛肉などの原材料高に加え、採用コストやアルバイトの時給など人件費が高騰したためだ。コスト削減のため、手間のかかる「鶏すき丼」などの販売中止まで表明している。

 「安い、うまい、早い」が売りである牛丼業界の代名詞であり続けた吉野家。しかし外食を取り巻く環境の変化で、他の強みを打ち出さざるを得なくなってきたようだ。構造的な収益悪化を切り抜けるため、同社が選んだのはこれまでほとんどしてこなかったという、綿密な顧客分析を踏まえた販促や新店舗戦略だ。吉野家の“初めてのマーケティング”を追った。

 以前の値上げでは客数激減

 昨年10月、牛すき鍋膳の商品発表会に登壇した吉野家HDの河村泰貴社長は「これまでも繰り返し伝えたが、牛丼の値上げの予定はない」と報道陣に説明した。ちなみに17年11月にすき家が、18年4月には松屋が値上げを実行している。

 吉野家には14年に牛丼を値上げした際に客離れが起き、なかなか回復しなかったトラウマがある。今も「牛丼の価格は380円というイメージがデフレの時に付きすぎてしまった」(吉野家HD幹部)という見方が社内でも根強い。

 現状でも吉野家の牛丼並盛の価格は大手チェーンの中では最高値に当たる。同社開発本部の植田浩正執行役員は「まず私たちは単価より客数を取りに行きたい。吉野家には常にワンコインで、という期待が高い」と説明する。

 店舗当たりの客数増加のため目を付けたのが、たいていの大手飲食なら昔からやってそうな「マーケティング施策」だった。「今まではあくまで(男性の1人客など)特定の需要にこたえ、同じ客層を増やそうとしてきた。新たなターゲットを設定してシェアを伸ばすというアプローチはあまり取ってこなかった」(植田執行役員)。

 マーケティングのプロを

 そこで新たな施策の要として強化しているのが、16年に試験投入し始めた「キャッシュ&キャリー」型店舗だ。看板の色からSNSなどで「黒い吉野家」と呼ばれる。店員が注文を聞きに来る従来のスタイルではなく、レジで客が注文して受取コーナーで料理を受け取る。

 従業員のコスト削減の意味合いも強いが、植田執行役員が強調するのが女性客の増加だ。白が基調のカフェ風の店内デザインも奏功し、都心型の店舗では改装後、女性客の1店舗当たりの利用人数が5割ほど増えた。

 「女性客は『お会計を』と店員に一声かけるシステムが嫌だったようだ。最初に注文と会計を済ませれば良いセルフサービスは自由度が高く、彼女たちに抵抗感が無かった」(植田執行役員)。従来、吉野家では食後にすぐ店を出る客が多かったが、新型店舗では席で数分一息つくなど、必ずしも「早さ」重視でない客も増えているとみる。現在24店舗を改装済みで、全約1200店舗のうち年間100店ずつ、最終的には400~500店を転換する予定だ。

 「吉野家は日本の外食の中でも女性が入りにくい店ではトップクラス」(植田執行役員)。女性を呼び込むため、他にも新型店舗の実験投入を進める。17年から始めた、「ジグソーカウンター」と同社で呼んでいる、テーブルをジグザグにずらして配置した店もその1つだ。食事中に他人との距離や視線を気にする女性に配慮して、従来店舗より机の間隔が開くようにした。

 こうした新たな施策を強化するため、18年には外部からマーケティングの専門家を招いた。P&Gで洗剤のジョイやアリエールなどのブランド再生を手掛けてきた伊東正明さんだ。1月に戦略担当顧問として吉野家に関わり、10月には常務に就任した。幹部の多くが店舗勤務を経験したたたき上げの中、異色の存在だ。

 伊東さんは「外食を取り巻く環境は非常にきついが、よその外食すべてが赤字決算というわけでもない」と断じる。特に、牛丼は粗利率の決して低い商品でなく、現状では集客が足りていないとみて、顧客像を分析した上でのマーケティングを打ち出す。

 5月、新生活を始める学生をターゲットにした学割キャンペーンを実施した。9~10月には、はなまるうどんとすかいらーくグループのガストとの3チェーン合同で、クーポンとして使える「定期券」を発行した。外食で競合他社と連携した割引券を発行するのは異例だ。

 いずれも、これまで吉野家を使っていなかった若者や他店の客に、同店に通うきっかけを持ってもらい習慣化させるのが目的だ。「外食に1度来ても2度とこない人は多い。うちが日々の食事のローテーションに入るようにして来店頻度を上げれば、全体の来客数は伸びる」(伊東さん)。こうした施策を通じて、3年間で現在の1店舗当たりの来客数を10%以上伸ばしていくという。

 「並盛偏重」からの脱却を

 ただ、伊東さんは大手チェーンの中でも牛丼に売り上げが偏りがちな、吉野家特有の問題も挙げる。コスト高が続く一方で、依然として人気は単価の安い牛丼に集中している。「結局は(牛丼並盛に)380円払う客が一番大事な客。だが、一番うまいのがその並盛という状況を脱却したい」(伊東さん)。今後は牛丼の変わった食べ方提案を通して付け合わせのサイドメニューを売り込むことで、単価を上げる施策もとっていく。

 値上げなどの分かりやすいコストの転嫁でなく、マーケティング施策で吉野家の収益は改善するのか。外食産業に詳しいいちよし経済研究所の主席研究員、鮫島誠一郎さんは「前提として今や『牛丼=吉野家』の時代ではなくなった」と指摘する。

 「過去の成功体験が一番厄介」

 鮫島さんによると、吉野家の1店舗当たりの客数は1990年代の半分くらいにまで落ちた。競合の台頭が大きいといい、「若者は牛丼というと松屋やすき家をイメージする。吉野家を思い浮かべるのは年配の人が多くなってしまった」(鮫島さん)。

 しかも、牛丼並盛に人気が偏っている点もやはり問題とみる。「吉野家は他牛丼チェーンよりさらにファミリー層やグループ客が少なめで、1人で牛丼並だけ頼む客が恐らく5割以上。そこに牛丼を値上げすれば客数は下がるだろう」(鮫島さん)。

 逆風からの脱却のヒントとして鮫島さんが挙げるのがマクドナルドだ。00年代にハンバーガーの半額キャンペーンを行っていたが、値上げしたらやはり売り上げは下がった。現在は100円のハンバーガーも売っているが、それよりビッグマックなど高価格帯の商品を推してハンバーガー類自体のイメージを変えた。値上げ自体はしていないが、客単価を上げることに成功したという。

 翻って、消費者には吉野家への「安い、うまい、早い」のイメージがまだ根強いとみる。「吉野家が変わりつつあることを消費者はあまり知らないのではないか。やはりマーケティング(によるイメージ転換)は重要になる」(鮫島さん)。加えて、夜限定でパティを増やすことのできるマクドナルドの「夜マック」のように、吉野家でも値上げをせずに単価の上がるメニュー面での柔軟な挑戦が必要と考える。

 鮫島さんは「吉野家はもともと、牛丼を提供するのに松屋やすき家よりはるかに効率的なシステムを作っていた。しかし、一番厄介なのが過去の成功体験だ」と分析する。BSE(牛海綿状脳症)で起きた米国産牛肉の輸入停止による牛丼販売休止など、幾度の危機を乗り越えてきた吉野家。コスト高という根深そうな問題を前に、マーケティングに工夫を凝らすことで対抗できるか。