【スポーツi.】学校教育のスポーツに「指導者エゴ」はないか

 
新しい競技と最新技術を組み合わせたイベント「ExーCROSS」であいさつするスポーツ庁の鈴木大地長官。改革に乗り出しているが…=22日、大阪市北区

 日本バスケットボール協会は昨年末、各都道府県協会に対して、留学生に対する教育環境を十分に提供する旨を通知した。国際バスケットボール連盟(FIBA)が原則禁止している18歳未満のプレー目的での国際移籍に、日本での留学生の受け入れ現状が抵触すると判断されたためである。(フリーランスプランナー・今昌司)

 FIBAの内規では、十分な教育環境や練習環境の提供と、FIBAが若手育成のために設けた基金への拠出などを条件に国際移籍を認めている。昨年6月には、留学生選手による審判に対する暴力事件も発生しているが、報道では、これを発端に、FIBAが本格調査した結果である、としている。

 バスケットボールでは、昨年末の高校選手権大会に出場する男子チームの3割もの学校で留学生がメンバー入りしていたということだが、留学生、特に、優れた脚力や高い身長など、身体能力や体格に優れたアフリカ出身の選手たちは、駅伝でも珍しい存在ではない。男子のみならず、女子選手にも及ぶ。

 背景に指導者エゴ

 試合に勝つことは、学校の知名度を高め、志望生徒を増やし、学校経営にも大きな影響を与える。スポーツの持つ価値は、企業の経営戦略だけではなく、学校経営にも活用されていることは疑いのない事実である。試合に勝つためには、日本人以上に優れた能力を持つ留学生の力に依存するのも、強化という側面では有り得るだろう。

 しかし、学校教育の中で行われているスポーツとは、そもそも学校の宣伝道具でもなければ、プロスポーツ選手の育成でもない。勝利至上主義は、学校経営者を含めた生徒や学生を指導する大人の思惑でしかない。

 結果として、スポーツの目的は勝つことだけに集約され、パワーハラスメントや暴力も生まれてしまう。昔の“スポ根ドラマ”のような世界どころか、今ではそれが指導者の願望の押し付けにしか見えないのは、私だけであろうか。

 平昌五輪でカーリング日本代表として初めてメダルを獲得したLS北見の代表、本橋麻里さんは、自身が出場したバンクーバー五輪後に故郷の北海道・北見でチームを設立しているが、その時、メディア取材に次のように答えている。「以前のチームでは、勝利が義務付けられていて、カーリングを楽しむ余裕はありませんでした。故郷に帰ってきて、カーリングが好き、楽しいという気持ちを高めていく時間だな、と考えています」。本橋さんは、バンクーバー五輪で対戦したスウェーデンの選手たちが、本当に生き生きとカーリングを楽しんでいる姿に接して、衝撃を受けたという。勝利に支配されることは、スポーツの楽しさを奪うのである。

 別の価値導く必要

 スポーツ庁の鈴木大地長官は昨年6月に「わが国のスポーツ・インテグリティの確保のために」というメッセージを発表した。頻発したスポーツ界における暴力やパワハラの要因として、勝利至上主義、行き過ぎた上意下達や集団主義、科学的合理性の軽視を挙げて、スポーツ界に内包された悪しき体質とまで言っている。

 特に、勝利至上主義は、生徒や学生に対する支配力を持つ大人の責任によって植え付けられるものであり、子供たちが勝つことを望んでいるとしても、それが全てではないこと、それだけがスポーツの価値ではないことを、教え導くのが真の指導者としての力ではないだろうか。

 スポーツの価値とは競うことの楽しさだと思う。競争には勝ちもあり、負けもある。そのどちらも許容できるからこそ、スポーツには楽しさが生まれる。強くなるため、強さを持続するために留学生の力が必要ならば、その指導者たちは、彼ら留学生に対して、その力の対価として何を教え導けるのか。それこそが、指導者としての力量そのものではないだろうか。

【プロフィル】今昌司

 こん・まさし 専修大法卒。広告会社各社で営業やスポーツ事業を担当。伊藤忠商事、ナイキジャパンを経て、2002年からフリーランスで国際スポーツ大会の運営計画設計、運営実務のほか、スポーツマーケティング企画業に従事。16年から亜細亜大経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師も務める。