【スポーツi.】日米球界の連帯 元祖・日ハムの成功の秘訣

 
ニューヨーク・メッツとパートナーシップ契約を締結し、フォトセッションに臨む埼玉西武ライオンズの渡辺久信GM(左)ら=4日、メットライフドーム

 令和新時代、グローバル化で企業力の差をつける!? プロ野球の埼玉西武ライオンズが先週4日、大リーグのニューヨーク・メッツとパートナーシップ契約を締結したと発表した。

 チームの育成、スカウティング、球場のボールパーク化、野球の振興強化などでノウハウを共有する他、メッツの春季キャンプ、教育リーグへコーチやスタッフを派遣することなど多岐にわたるという。渡辺久信球団ゼネラル・マネジャーは「今後のコーチ、スタッフの成長にもつながる。毎年優勝争いのできる強いチームを作る」と意義を話した。

 今年3月、DeNAベイスターズがダイヤモンドバックスと同様な契約を結んだ。内容は西武とほぼ同様で契約期間は共に今年から3年間。未公表だが、当然契約料という“投資”がされたビジネスである。

 優れた選手を育成

 米球界との業務提携の成功例といえば日本ハムだろう。球団経営に乗り出した1974年、常勝軍団であるヤンキースと業務提携。当時、巨人とドジャースのような“友好球団”という枠組みがあったが、本格的な業務提携は球界初だった。

 日本ハムは後に球団代表、オーナー代行となった小嶋武士氏を当時、2年間派遣してノウハウを学ばせた。帰国後、子供や女性をターゲットとしたファンクラブ結成、球場での結婚式、異業種企業とのコラボなど画期的な企画でファンサービスを徹底した。今やこの手の活動は球界の常識になっている。

 提携は、2002年6月までの28年間続いた。球団経営をフロント主導にほぼ移行させつつあった03年、ヤンキース傘下で指導を積んだトレイ・ヒルマンを招聘(しょうへい)。メジャー流スカウティング方式で若手の育成も平行して着手。当時から投手は球数制限など合理性を貫いた。

 北海道に移転した04年、メジャー帰りの新庄剛志、FAで稲葉篤紀を獲得、新人でダルビッシュ有を得るなど戦力を充実させた。05年に大リーグのデトロイト・タイガースでフロント業を研鑽(けんさん)した吉村浩氏をヘッドハンティングしてメジャー流を徹底化させ、06年に25年ぶりのリーグ優勝、初の日本一に輝いた。

 当時、オーナー代行だった小嶋武士氏はこう述懐する。

 「当時よく“アメリカかぶれ”と言われた。昔はユニホーム組などの現場の発言力が強く、浪花節というか、選手も情けで残したり、人のつながりで取っていたが、それではダメ。経営はフロントの仕事。優れた選手を育成するという明確なビジョンを示すことで、メジャー流のチーム強化を目指した」

 時間はかかったが、プロフェッショナルな経営学が実った。

 「育成も選手個々の能力を考慮して、個々計画的にやっている。だから仮にFAでチームを出ていっても、必ず“後釜”が出てくる環境をつくった。そして足りない部分をトレードで補う。若手が育ったら若手を使います。で、うちで控えに回る戦力なら、他球団に移籍させたほうがいい。選手が働ける環境を提供するのも、われわれの大事な役目だと思う」(小嶋氏)

 積極的にトレード

 余剰戦力の“飼い殺し”はしない。今季は16年の新人王・高梨裕稔投手、太田賢吾内野手を放出したが、いまやヤクルトで欠かせぬ戦力となっている。17年に巨人に移籍させた吉川光夫投手、石川慎吾外野手も活躍…。もちろん見返りに補強した巨人からの大田泰示外野手は主軸として、公文克彦投手は貴重な中継ぎとして戦力になっている。

 積極的なトレードはまさにメジャー的で“WIN WIN”関係だ。北海道移転後、昨年まで15年間でリーグ優勝5度。一時的な戦力ダウンはあったが、必ず“新鮮力”がいた。さらに昨年1月、新たにテキサス・レンジャーズと業務提携、次なる高みの道を目指している。

 1990年代、日本球界12球団の総売り上げは約1500億円前後といわれた。当時メジャーもほぼ同額とされたが、30年近くたった今、日本は微増に甘んじるが、メジャー全体では100億ドル(約1兆1200億円)といわれ格差が生まれた。

 戦力強化システム、球場周辺のアミューズメント化構想などまだ後れを取る日本。大リーグに学ぶべき点はありそうだ。(産経新聞特別記者 清水満)