論風

世界でキャッシュレス化が加速 薄れる銀行の存在感

 先日、米国で開かれた会議の席上発表された、ボストン周辺の若者の生活パターンを聞いた中で、やや衝撃的だったのは、若者の3分の2強は「生まれてからこれまで銀行の店舗に足を踏み入れたこともなく、かつ今後を展望しても、店舗には行かないだろう」と答えたということだった。(国際通貨研究所理事長・渡辺博史)

 もちろん、カード決済や日本ではあまり見られない小切手決済が中心の米国で彼らが物理的に店舗に赴かないことはさほど意外ではなかったが、これらの2種の決済手法では銀行に口座を持つことが前提になっていた。

 中国でも、空港から市内へのタクシー利用で、人民元紙幣で払おうとしても、「アプリでしか代金は受け取れません」と言われ往生した人も多いが、この例でもアプリ決済は中国国内の銀行口座の保有をベースにしている。

 口座介さず決済

 しかし、近時ケニアなどで行われているアプリ決済は、銀行口座を介さないものとなっている。比喩が妥当かどうか分からないが、「ネットワーク化されたプリペイドカード」のようなもので、自国通貨表示のポイントを自国通貨で購入して直ちにモバイル端末のアプリに入れ、後はそのポイントを商品・サービス購入の際に店頭において端末同士で決済する。売り手側では決済のための固有端末を別途購入・準備する必要もなく、買い手側も決済手段が使える特定の系列店舗を探す必要もなくなる。今や人口の半分以上がこの決済手段に乗っているという。

 貧困層も含めあまねく金融サービスへのアクセスを保障しようという「インクルーシブ・ファイナンス」についてのこれまでの議論では、段階を追って(1)すべての人に銀行口座を持たせよう(2)すべての人に安価な送金手段を提供しよう(3)すべての人に高い利回りの金融手段にアクセスさせよう-という手法が主流であった。

 しかし、現状を見ると、(2)を誘因として新たに持ち込まれたデジタル・ペイメントの手法が、(1)に掲げた銀行口座保有の意義を無意味化させてきている。これまでの議論では、開発途上国に整備されていない金融機関の店舗網を、効率的に集約しつつもいかに安価に確立するかに力点が置かれていたが、今やそれは不要になった。安定的、かつ廉価な電力供給さえあれば、電波はいわば勝手に飛んでいるので、多少の発信局の増設で済む、という状態はシステムインフラ整備に必要とされる金額を劇的に減少させている。(3)の課題も、世界的に長期化する「超低金利」の世界ではあまり必要性が感じられない。下手に高利をうたう金融商品は、半ば詐欺だとみなされる現状では、1年分の所得金額以下の規模の投資に高い利回りが生じることはない。

 日本でも変容

 日本では、キャッシュ信仰があってアプリへの移行はたしかに緩やかであるが、それは銀行口座の必要性を担保しない。100万円の普通預金の金利1年分が1回のATM料金で消える現状から見て、盗難などの安全の問題はあるにせよ自宅に紙幣を保有することの危険性を意識しにくくなれば、金融機関の口座に魅力はなくなる。また、日本の口座の利用度を高めている「自動引き落とし」と「給与の口座振り込み」という2つの制度も変容していく。公益企業、金融機関、行政機関が主たる利用者である自動引き落としは、これら機関の性格上、早期の転換に追い込まれよう。また、労働法制の改正で、本邦通貨以外の給与支払いも認められ始めたが、その場合には金融機関の口座に振り込む必要もなくなる。

 また、米国で典型的に見られる多額の奨学金返済義務から来る新卒業生の負債状態も、資産の保全、運用のために金融機関を利用する動機の喪失につながり、これも金融機関あるいは口座との縁を薄くしている。ビル・ゲイツ氏が往時に「金融は常に必要。しかし、銀行の存在は不可欠ではない」と喝破した状態が既に来ているのである。

【プロフィル】渡辺博史

 わたなべ・ひろし 東大法卒、1972年大蔵省(現財務省)入省。75年米ブラウン大学経済学修士。理財局、主税局、国際局を歴任し2007年財務官で退任。一橋大学大学院教授などを経て13年12月から16年6月まで国際協力銀行総裁。同年10月から現職。69歳。東京都出身。