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明治や江崎グリコも手を出したハンバーガービジネス ロッテリアだけが飛躍した理由

 かつて、日本のハンバーガービジネスの黎明期から発展期にかけて、明治乳業(現・明治)、森永製菓、ロッテ、江崎グリコ、雪印乳業(現・雪印メグミルク)といった名だたる日本の菓子・乳業メーカーがハンバーガーショップをこぞって展開していた。そうした中で、唯一ハンバーガーチェーンとして成功したのが、ロッテを母体とするロッテリア(東京都新宿区)である。

 現在も国内404店舗(2019年6月末現在)の他、アジア各国にも進出しており、韓国やベトナムなどで大きく成功している。なお、海外展開は韓国のロッテリアによって行われている。

 一方、明治が展開していた「サンテオレ」は関東を中心に7店ほどを残すのみ。森永の「森永ラブ」、グリコの「グリコア」、雪印乳業の「スノーピア」のブランドは、残念ながら消滅してしまった。

 なぜ、ロッテリアだけが今もマクドナルド、モスバーガーに次ぐ、国内3位の勢力を誇っているのか。背景には、「エビバーガー」や「絶品チーズバーガー」といった、他のチェーンでは味わえないユニークなヒット商品を生み出す商品開発力があった。

 創業時のマクドナルドと差別化

 ロッテリアは1972年に創業。東京の日本橋高島屋に1号店を出店した。ロッテのアイスクリームを販売するアンテナショップという位置付けで、「ロッテのカフェテリア=ロッテリア」としてスタートした。メインの食事としてハンバーガーを楽しむことができる店舗で、学生・社会人(単身者や若年層など)ばかりではなく、ファミリー層をも取り込むバラエティ豊かな商品を展開した。

 当時のラインアップは、レタス入りをアピールした「ロッテリアハンバーガー」(150円)、「チーズハンバーガー」(180円)、「フライドチキン」(ドラムスティック1本200円)、「アイスクリーム(6種)」(各150円)、「アメリカンコーヒー」(100円)などとなっていた。

 ちなみに、71年に日本上陸を果たした当時のマクドナルドでは、ハンバーガーは80円で売られていた。72年に東京都板橋区で創業したモスバーガーは120円だった。ロッテリアが結構強気な価格設定だったことがうかがえる。ロッテリアは、食事にも間食にも対応できて、喫茶にも使えるファミリーレストランというのがコンセプトだった。マクドナルドは銀座三越を日本1号店に選んでおり、テークアウト専門だった。ストリートフードではなく、テークアウトもできるハンバーガー&アイスクリームレストランということで、差別化を図った。

 エビバーガーのヒット

 しかし、異業種であるハンバーガーショップの運営はなかなか難しく、しばらくヒットに恵まれなかったという。日本の食文化に合うようなハンバーガーを開発しようと試行錯誤を重ね、創業から5年後の77年に「エビバーガー」(当時の名称は「エビハンバーガーサンドイッチ」)を発売。これが、日本人にとっての縁起物であるエビを使った画期的な商品ということで爆発的なヒットとなり、ハンバーガーショップとしての地位を確立した。エビバーガーはプリプリのブラックタイガーを使っており、揚げたパテにタルタルソースをかける仕様だった。これは、洋食レストランのエビフライをハンバーガーにアレンジしたような印象をお客に与え、発売以降30年間ナンバーワン商品として君臨した。エビバーガーの効果もあり、77年には100店舗を達成している。

 しかし、ライバルも黙ってはいない。2005年にマクドナルドが女優・モデルの蛯原友里さんをCMキャラクターに起用した「えびフィレオ」をヒットさせた。発売10周年となる15年にも蛯原さんがCMに再登場している。これにはさすがのロッテリアも影響を受けたようで、10年に行われたエビバーガーの大規模リニューアルの際には、歌舞伎界のプリンスである市川海老蔵さんをCMキャラクターに起用して対抗。発売4日間で来店したお客の9割が購入したほどのブームを引き起こした。

 現在も、幾度となくリニューアルを繰り返しながら、エビバーガーはロッテリアを代表するメニューであり続けている。

 エビバーガー頼みからの脱却

 エビバーガー頼みでは厳しいと痛感したロッテリアは、これに匹敵するヒット商品を生み出すべく、トライ&エラーを続け、07年に誕生したのが「絶品チーズバーガー」である。発売から3日間で1カ月分を完売するほどのロケットスタートだったという。

 絶品チーズバーガーは“ビーフの4番バッターを生み出す”という発想で生まれた。パティはフランスの「タルタル・ドゥ・ブッフ」をヒントにして、最大約8ミリの超粗挽きにすることで、ステーキを食べているような食感を実現。さらに卵白を練り込み、ふっくらと仕上げた。ゴーダとチェダーの2種類のナチュラルチーズを使って、コクのある味わいとなっている。バンズは、日本人好みのソフトバンズをベースに、一等粉や日本酒の酒種を酵母に使うなど、こだわりを持った素材となっている。

 絶品チーズバーガーは、「おいしくなかったら返金する」というキャンペーンの効果などもあり、エビバーガーから売り上げナンバーワンの座を奪うほどの人気となった。今はエビバーガーと並ぶ看板商品である。

 その他にも、「コアラのマーチ焼」や「ガーナミルクチョコレート」とのドリンクを中心としたコラボ商品、「雪見だいふくスイーツ」など、ロッテグループのシナジーを生かした商品を投入している。ファストフードでは弱いとされるスイーツやドリンクを強化しつつ、ロッテのアンテナショップとしての役割もしっかり果たしているといえよう。

 最近は、韓国で流行している「のび~るチーズスティック」を日本の外食チェーンでいち早く発売するなど、トレンドを意識した展開も行っている。のび~るチーズスティックやタピオカをアレンジした「タピオカラーズドリンク」、そして「4-dan絶品チーズバーガー」はインスタ映えを意識した期間限定の商品となっており、これらを目的とした来店も多い。

 ロッテリアの広報担当者は「飲食業を生業とするなら、おいしいは当たり前。楽しさや驚きがファストフードの強みだと考えています。オリジナルを追求し、おいしいと楽しさや驚きが両輪となったバランスの良さが、お客様に支持されているのではないでしょうか」と語っている。

 明治乳業のハンバーガーショップはどうなったのか

 サンテオレは、1973年に明治乳業によって設立された。95年には関東を中心に100店舗超を展開する中堅のチェーンであった。当初は「明治サンテオレ」と称していたが、運営会社の明治サンテオレは、2003年に明治乳業傘下の東京明治フーズに吸収合併されたようである。サンテオレの事業は明治の系列から離脱して、06年にサンテオレコーポレーション(東京都杉並区)に譲渡されるなど紆余曲折を経て現在に至っている模様だ。事実関係がはっきりしない部分があるので、これまでの経緯を明治フレッシュネットワークに問い合わせたが、「もう古いことではっきりとは分からない」とのことだった。

 現在でも営業している横浜市中区の日本大通り店を訪ねると、みなとみらい線日本大通り駅の改札外にあり、カフェ風のモダンな店舗になっていた。ハンバーガーやビーフテリヤキバーガーといったメインの商品は、ポテトまたはオニオンリングを付けたドリンクセットで700円前後。しっかりとした味の肉とソースで、価格に見合った価値を感じた。しかし、食事としてとらえるなら、1個では足りない人が多いのではないかと思えるボリュームだった。日替わりでパスタも用意されており、女性も満足できる店舗に進化していた。

 サンテオレは店によってメニューが異なるようだ。横浜市内にある他の店舗では、あの松坂大輔投手も通ったという能見台店(横浜市金沢区)の店主が引退したため15年に閉店している。のれんを守る店は、ぜひとも後継者を迎え入れて味を後世に伝えてほしいものだ。

 森永のハンバーガーショップはどうなったのか

 森永の「森永ラブ」は、首都圏を中心に最大で50店ほどチェーン展開した。東京都心型の店舗展開をしたので、都民にとっては存在感があったかもしれない。森永に問い合わせたが、あまりに昔のことなので詳細は分からないとのことだった。各種情報を総合すると、次のような店だったらしい。1975年、森永製菓の子会社であるレストラン森永によって港区三田に1号店をオープン。キャッチフレーズは「おいしさわけあおう!」で、ハンバーガーの他、アイスクリームなども売っていた。マフィン、特にツナマフィンに定評があった。しかし、96年にJTと米国・バーガーキングの合弁会社だったバーガーキングジャパンに買収された。さらには、01年にバーガーキングがいったん日本から撤退するにあたり、店舗はロッテリアとファーストキッチンに売却されて消滅したという。

 グリコのハンバーガーショップはどうなったのか

 グリコが生んだ「グリコア」は1973年から93年まで、20年間存在したブランドだ。アメリカン・スナック・レストランを標榜し、ハンバーガー、ピザ、フライドチキン、アイスクリーム、シェイクなどを販売していた。

 運営していたのは子会社のグリコアで、90年からはグリコフードサービスに移管された。全盛時には201店を展開していた。もともとは、アイスクリーム専門店として構想されており、ファストフード用のアイスクリームを委託生産することになったのを機に、自社でもお店をやってみようということになったそうだ。

 75年からハンバーガー、80年からフライドチキンをメニューに加えた。他のファストフードチェーンと比べても、商品の幅が広いのが魅力だった。顧客層に合わせて商品構成を変える柔軟性があり、焼きそばやたい焼きまで売っていた店もあった。アイスクリームのバリエーションも16種類と豊富だった。1つの店で和洋多彩な商品に対応する、屋台の集合体のようなショップだったようだ。

 出店は、郊外のショッピングセンターが中心で、東京都心では新宿のサブナードに店舗があった。

 雪印のハンバーガーショップはどうなったのか

 雪印の「スノーピア」も1973年頃から店舗が展開されている。雪印スノーピアという会社がフランチャイズ本部になっていた。

 母体である雪印乳業も今はもう存在していないので詳細を追うのは非常に困難だが、80年代前半には東京・高田馬場駅前の商業ビル「ビッグボックス」などに出店していた。ハンバーガーと雪印のアイスクリームを対面販売する複合型ショップで、マクドナルドとサーティワンアイスクリームを足したような店づくりにして、最強のファストフード店を目指したらしい。1000店の出店を目標としていたが、オペレーションの複雑さもあってか、はたまたグリコアとバッティングしたためか、あまり広がらなかった。

 ロッテリアが繁栄した理由

 これまで紹介したケースを振り返ってみよう。ロッテリアの後を追って、サンテオレ、森永ラブ、グリコア、スノーピアがハンバーガーやアイスクリームを売るファストフードショップを展開しようとして、いい線まで行った。しかし、最終的にはエビバーガーや絶品チーズバーガーほどのヒット商品に恵まれず、縮小・撤退していったことがうかがえる。

 87年、マクドナルドがハンバーガーにフライドポテトとドリンクを組み合わせて安くした「サンキューセット」を発売すると、ロッテリアは「サンパチトリオ」を発売するといったように、商戦を盛り上げた。このようにして世間に話題を振りまいたのも、菓子・乳業系ハンバーガーショップではロッテリアだけだったのではないだろうか。

 2000年前後の価格破壊によるマクドナルドの値下げ攻勢は、ハンバーガー業界に大きなインパクトを与えた。ロッテリアを除く菓子・乳業系チェーンは、マクドナルドに100円バーガーを売られ、値段に大差がついてしまったことで、集客ができなくなってしまった。そのマクドナルドも商品の品質悪化から、顧客の信用を失い、日本法人を立ち上げた藤田田氏が退場していくのも皮肉な結果であった。

 もちろん、ロッテリアも多大な影響を受けた。低価格路線についていって疲弊したうえ、04年に日本マクドナルドから原田泳幸・新社長(当時)の指揮下、エビバーガー戦争を仕掛けられ、追い込まれた。05年11月には企業再生会社リヴァンプの資本提携を受け、リヴァンプの玉塚元一・共同代表(元ユニクロのファーストリテイリング社長、のちのローソン社長。現在はデジタルハーツホールディングス社長)がCEOとして経営をしていた時期もある。しかし、絶品チーズバーガーのヒットやエビバーガーの再興といった商品の改革で持ち直し、10年にはリヴァンプが経営から手を引いている。

 ロッテリアが、マクドナルドやモスバーガーと並ぶハンバーガー業界の第3極として、存在感をこれからも示し続けられるか。菓子メーカーとしての強みを生かしたスイーツの開発や、定評のあるコーヒーを生かしたハンバーガーカフェとしての可能性を鑑みれば、1980年代から店舗数は伸びていないものの、成長の余地を有したチェーンといえるだろう。