【高論卓説】商業主義横行、オリンピック 「平和の祭典」再認識を

 
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 1959年にスポーツに関する初めての法律が、「スポーツ振興法」として制定された。64年のオリンピックを迎えることから、法治国家としての体裁を整え、スポーツの普及に力を注ぐ国の決意とアマチュア競技者とプロフェッショナルの明確な線引きの指針であった。

 当時、アマチュアイズムが崇高な理想とされ、金銭の授受が競技者には認められていなかった。アマチュアの祭典こそがオリンピックであると称賛されていた。だが、国際オリンピック委員会(IOC)は、テレビ放映権料やスポンサー契約金を値上げするために、「オリンピックは世界で最もレベルの高い競技大会」であるとし、アマとプロの垣根を取り払って久しい。

 体操競技の昨年までの日本のエースだった内村航平選手、インタビューを受けるユニホームには大きく2社の社名が入っていた。内村選手はプロであるからだ。新しい「スポーツ基本法」は、前文1行目に「スポーツは世界人類共通の文化である」と書き、「する、見る、支える」の3本柱からなる。で、プロとアマの区別がなくなった。IOCの姿勢を受け入れ、高齢者や障害者を含め、全ての人がスポーツを楽しむ権利を有するとも記す。

 プロ・アマの区別がなくなった影響は、多方面にわたる。各企業は名だたるスター競技者と広告塔としてプロ契約を結ぶ。競技を大学卒業後も続けたい選手は、理解ある企業に入社する。企業が一流競技者のスカウトに熱心なのは、オリンピックや世界選手権大会などで活躍してくれれば、イメージアップにつながり自社の株価が上昇するからだという。

 投資家もスター選手のパフォーマンスに注目し、同時に関連企業にも注目するのだ。ただ、IOCの定めるオリンピック憲章の使命と役割の中に、「スポーツと選手を政治的または商業的に不適切に利用することに反対する」とあるが、何が不適切であるのか判然としない。

 むしろ、IOC自身が商業的に不適切に利用している。なぜ、猛暑の7月にオリンピックを開催するのか、それはテレビ放映権料のためであり、「アスリート・ファースト」を無視している。IOCも日本オリンピック委員会(JOC)も商業主義に支配され、さまざまな問題が日常のものとなっている。

 IOCがプロのオリンピック出場を認めた代償として、アンチ・ドーピング問題を厳格に扱うようになった。公平な状態で試合をする、薬物によって健康を害してはならないからである。ドーピングは、世界反ドーピング機関(WADA)によって管理されているが、オリンピック種目でなくとも、あらゆる競技でドーピング・チェックをすべきだと定めている。わが国の大相撲力士も、その例にもれないのだ。

 またIOCは、国連本会議で満場一致で採択されたオリンピズムの根本原則である「オリンピック・ムーブメント」の普及と定着に努力中である。「フェアであるべきだ」「スポーツマン精神を持つべきだ」「品性・品格を持つべきだ」という理想を人類が持ち、世界中が平和でより良い世界の構築に貢献することを目的としている。

 しかし、東京オリンピック開催まで、あと1年を迎えた今月24日、各紙の報道は、「平和」についての論及が不足していた。私たちは、もう一度、オリンピック・ムーブメントについて復習しなければならない。でないと、東京オリンピック開催の意義を見失う危険性がある。オリンピックは、「平和の祭典」であることを再認識したいものである。商業主義だけであっていいはずがない。

【プロフィル】松浪健四郎

 まつなみ・けんしろう 日体大理事長。日体大を経て東ミシガン大留学。日大院博士課程単位取得。学生時代はレスリング選手として全日本学生、全米選手権などのタイトルを獲得。アフガニスタン国立カブール大講師。専大教授から衆院議員3期。外務政務官、文部科学副大臣を歴任。2011年から現職。韓国龍仁大名誉博士。博士。大阪府出身。